馬鹿囃子ばかばやし)” の例文
東京に居た弥之助は町のお祭を歩いて、それまでは提灯ちょうちんであった馬鹿囃子ばかばやしの屋台に電燈が点けられたのを見て劃期的に感心した
どこかで、汐干船しおひぶね馬鹿囃子ばかばやしが聞こえる。春風は、景気のよい馬鹿囃子のチャンギリのをつつんで、庄次郎の首すじを吹いた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元は三河島の馬鹿囃子ばかばやしに入っていたという清吉、いつの間にやら三輪の万七の子分になって、事ごとにガラッ八の向うを張っている岡っ引でした。
わたくしはこの説に左袒さたんしているのであるが、近年神楽や馬鹿囃子ばかばやしもすっかりすたれて、お亀やひょっとこの仮面も玩具屋おもちゃやの店頭には見られぬようになった。
仮寐の夢 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
このあいだはとうとう降参して、もううたはやめる、その代り何か楽器を習おうと言いだしたところが、馬鹿囃子ばかばやしをお習いなさらないかと勧めた者があってね。大笑いさ
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
深夜にいろいろの物音がきこえて、所在を尋ねると転々するというのは、広島で昔評判したバタバタの怪、または東京でも七不思議の一つにかぞえた本所の馬鹿囃子ばかばやしの類です。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
さうぢや、さうぢや、はあさうぢや。はあさうぢや。」と、馬鹿囃子ばかばやしうかれたやうに、よいとこまかして、によいと突立つツたち、うでいた小兒こどもむねへ、最一もひとおとがひおさへにくと、いきほひ必然ひつぜんとして
銭湯 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
しよんぼり立つたうしろから馬鹿囃子ばかばやし(下略)
浅草灯籠 (新字旧仮名) / 正岡容(著)
しよんぼり立つたうしろから馬鹿囃子ばかばやし
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
馬鹿囃子ばかばやしの一隊を狩集め、なお有志の大連を差加えて小金ヶ原へ乗込み、都鄙とひの道俗をアッと言わせようとして、明日あたりはその下検分に
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
金剛寺坂こんごうじざか笛熊ふえくまさんというのは、女髪結おんなかみゆいの亭主で大工の本職を放擲うっちゃって馬鹿囃子ばかばやしの笛ばかり吹いている男であった。按摩あんま休斎きゅうさいは盲目ではないが生付いての鳥目とりめであった。
伝通院 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この櫓というのは、道庵先生が鰡八大尽ぼらはちだいじんに対抗して、馬鹿囃子ばかばやしを興行するために特に組み上げた櫓の名残りであります。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
無邪気でそしてまたいかにも下賤げすばったこれら愚民の習慣は、馬鹿囃子ばかばやしにひょっとこの踊またははんもの見たような奉納の絵馬のつたない絵を見るのと同じようにいつも限りなく私の心を慰める。
それで道庵が兄哥連あにいれん狩催かりもよおして馬鹿囃子ばかばやしをはじめると、大尽の方では絶世の美人を集めたり、朝鮮の芝居を打ったりして人気を取るのであります。
馬鹿囃子ばかばやしとかいったようなものですが、あなた方は、そんな種類の人とは思われないから、世を忍ぶ謀叛気むほんぎの方々かと、一時は疑いの心を起しました
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一方、道庵の方では、馬鹿囃子ばかばやしが当りに当ったものだから、いよいよいい気になって、このごろでは、道庵も本業の医者をそっちのけにして踊り狂っていました。
この連中は、馬鹿囃子ばかばやしをする連中であります。どこから頼んで来たか知れないが、わずかの間にこれだけの馬鹿囃子を集めることは、道庵でなければできないことと思われます。
行住座臥ぎょうじゅうざがはなさぬ所の般若の面を脇にかかえて、甲板の上を初めはダクを打って歩いていたが、その足がようやく興に乗じて急になる時分に、帆柱の下で馬鹿囃子ばかばやしが湧き上りました。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)