)” の例文
奈何いかんせん寒微より起りて、智浅く徳すくなし、といえるは、謙遜けんそんの態度を取り、反求はんきゅうの工夫に切に、まず飾らざる、誠に美とすべし。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
されば最後に彼は「これをもて我れ自ら恨み(自己をみ嫌い)、塵と灰との中にて悔ゆ」と悔改くいあらための涙を出すに至ったのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
みてその実名を口にせぬ慣習が、根強く残り伝わっているかの、一つの仮説をすらも打ち立てることができなかったのである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
蓋し老人は老をむが故のみ。し少壮なる者ならば、たすけらるるも扶けられざるも与に可、何のいかることか有らん。(老学庵筆記、巻八)
直言讜議ちょくげんとうぎまずはばからず、時には国王の逆鱗げきりんに触れるほどの危きをも冒し、ますます筆鋒を鋭くして、死に至るまで実利主義のために進路の荊棘けいきょくはらった。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
一二八公叔座こうしゆくざ病のゆかにふしたるに、魏王みづからまうでて手をとりつも告ぐるは、一二九むべからずのことあらば、誰をして一三〇社稷くにを守らしめんや。
その父前大納言慶勝よしかつが安政五年七月将軍家後嗣こうしの事に関して井伊大老のむ所となり退隠を命ぜられた時、元千代はまだ生れていなかったので、慶勝の弟茂徳しげのりが尾州家を継いだ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
公にしてむべからざるあつて、わたくしがせめを問はれる日には、わたくしは割腹して謝する積である。天地神明も照覧あれ、わたくしの心事は公明正大であると、先生は云つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
彼の伝を書くものは皆彼の為めに之をめり。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
人の実名はんで呼ばぬのが礼儀であったが、荘園の名主は領家から見れば目下であるがゆえに、勝手にその名乗を取って土地に名づけた。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
孝孺こうじゅしゅうは、そのひと天子のにくむところ、一世のむところとなりしをもって、当時絶滅に帰し、歿後ぼつご六十年にして臨海りんかい趙洪ちょうこうに附せしより、またようやく世に伝わるを得たり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
神道の歴史を説く者だけが、それを構わずに呼ぶようになっているが、信ずる人々はなおご本名と思うものははばかっている。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
帝勇武を負い、毎戦あやうきをおかす、楡木川ゆぼくせんの崩、けだ明史みんしみて書せざるある也。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
『碩鼠漫筆』にはアタとむべしとあるが、『万葉』には足代の字を当て、また天皇の御名安殿をみたりとあるから、おそらくは旧説が正しいのであろう。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
皆字ではなくして真実の「名」であって、しかも西洋風にこれを呼びかけることをまない時節となったのであるからして、新しい風俗に従って字というものを捨ててしまわなければならぬ。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
武士がある大家の家人となれば、名簿みょうぶに二字を書してこれを主人に呈し、実名をまずに呼んで下さいという儀式を行った。この制度が廃れてから、公けに家号を名乗ることを二字の免許と称した。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
子孫竜宮の事を問へども婆みて話さず
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
名をんだ昔の慣習
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)