西河せいが)” の例文
今匈奴が西河せいがに侵入したとあれば、なんじはさっそく陵を残して西河にせつけ敵の道をさえぎれ、というのが博徳への詔である。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
... きみとくをさめずんば(八六)舟中しうちうひとことごと敵國てきこくたらん』と。武矦ぶこういはく『し』と。(八七)すなは呉起ごきほうじて西河せいがしゆす。はなは(八八)聲名せいめいり。
いはく、『西河せいがまもりて、しんへいあへひがしむかはず、かんてう(九二)賓從ひんじうするは、いづれぞ』と。
李広利りこうりを破ったその敵の主力が今どのあたりにいるのか? 今、因杅いんう将軍公孫敖こうそんごう西河せいが朔方さくほうの辺でふせいでいる(りょうと手を分かった路博徳ろはくとくはその応援にせつけて行ったのだが)
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
文矦ぶんこう呉起ごきへいもちひ・(七五)廉平れんぺいにしてのうつくこころたるをもつて、すなはもつ西河せいがしゆし、もつしんかんふせがしむ。文矦ぶんこうすでしゆつす。其子そのこ武矦ぶこうつかふ。