芸子げいこ)” の例文
旧字:藝子
昔はこのきょうにして此ありと評判は八坂やさかの塔より高くその名は音羽おとわの滝より響きし室香むろかえる芸子げいこありしが、さる程に地主権現じしゅごんげんの花の色盛者しょうじゃ必衰のことわりをのがれず
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
緋縮緬ひぢりめんまたに挟んで、お座敷の座興に逆立ちさせられる芸子げいこもあれば、舟遊山ふなゆさんの旦那衆が、いやがる芸子をとらえて、舟ばたに逆立ちさせるなどという悪どい遊戯は
井村、溝部は刀を提げたまま、横柄おうへいに座敷へ通る。揚屋へは刀禁制であるが、壬生といえば刀のまま上る。井村は、大胡坐おおあぐらをかいて、酒を命じ、芸子げいこ太夫たゆうを呼びにやる。
坂府は知っての通り芸子げいこ舞子まいこは美人ぞろい、やさしくって待遇もてなしいから、君から貰った三百円の金はちゃ/\ふうちゃにつかはたして仕方なく、知らん所へ何時いつまで居るよりも東京へ帰ったら
この時、歌うもの踊るもの、相撲を相手に腕相撲をするもの、芸子げいこへかじりついて騒がすもの。
芸子げいこ上がりの若い後添えをつれて、江戸へ行って繁昌しているということであった——人相は、背の高い方で立派な男で、武芸は大したこともなかったが、算数には明るかった、——左様左様
如何いかなる境界におつるとも加茂かもの明神も御憐愍ごれんみんあれ、其人そのひと命あらばめぐあわせ玉いて、芸子げいこも女なりやさしき心入れうれしかりきと、方様の一言ひとことを草葉のかげきかせ玉えと、遙拝ようはいして閉じたる眼をひらけば
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
第一は大菩薩峠の頂で猿と闘った時の笈摺おいずるの姿、第二は神尾の邸に侍女こしもとをしていた時の御守殿風ごしゅでんふう、第三はすなわち今、太夫ほどに派手はででなく、芸子げいこほどに地味じみでもない、華奢きゃしゃを好む京大阪の商家には