翰林かんりん)” の例文
これこそ柿油党すーゆーたん(自由と同音、柿渋かきしぶは防水のため雨傘に引く、前の黄傘格に対す)の徽章きしょう翰林かんりんを抑えつけたんだと思っていた。
阿Q正伝 (新字新仮名) / 魯迅(著)
そこで孫は郷試に選ばれ、翌年は進士に挙げられて翰林かんりんを授けられた。天子は孫の不思議を聞いて召してお尋ねになった。孫は謹んで申しあげた。
阿宝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
帝、食を賜い、あつものを調し、詔あり翰林かんりん供奉ぐぶせしむ。——これがその時の光景であった。非常に優待されたことが、寸言の中に窺われるではないか。
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
玲瓏れいろう明透めいてつ、そのぶん、そのしつ名玉山海めいぎよくさんかいらせるきみよ。溽暑蒸濁じよくしよじようだくなつそむきて、冷々然れい/\ぜんとしてひとすゞしくきたまひぬ。倏忽たちまちにして巨星きよせいてんり。ひかり翰林かんりんきて永久とこしなへえず。
芥川竜之介氏を弔ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
太祖崩じ、皇太孫立つに至って、廷臣交々こもごも孝孺をすすむ。すなわち召されて翰林かんりんに入る。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「印章をあやまった。……つい心なく“翰林かんりん蔡京さいけい”という四字の小篆しょうてんを彫らせたが」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帝これを嘉賞かしょうし、故翰林かんりん学士、ほうれんの遺子黛女たいじょを賜う。黛は即ちふんの姉にして互いに双生児ふたごたり。相並んで貴妃きひの侍女となる。時人じじんこれを呼んで花清宮裡かせいきゅうり双蛺そうきょうと称す。時に天宝十四年三月。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
礼部尚書れいぶしょうしょ陳廸ちんてき刑部けいぶ尚書暴昭ぼうしょう礼部侍郎れいぶじろう黄観こうかん蘇州そしゅう知府ちふ姚善ようぜん翰林かんりん修譚しゅうたん王叔英おうしゅくえい翰林かんりん王艮おうごん淅江せっこう按察使あんさつし王良おうりょう兵部郎中へいぶろうちゅう譚冀たんき御史ぎょし曾鳳韶そうほうしょう谷府長史こくふちょうし劉璟りゅうけい、其他数十百人、あるいは屈せずして殺され
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その後、瞻は十七の時蜀の皇妹と結婚、翰林かんりん中郎将に任ぜられた。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)