湊川みなとがわ)” の例文
その河原は、春木のいるところからは右手に見えていたが、その川は芝原水源地しばはらすいげんちのあまり水が流れていて、すえ湊川みなとがわにはいるのだ。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
湊川みなとがわの仕事場へ来てみると、まだ露ッぽい草のなかに、石権いしごんためも、そのほかの職人も、みな腕ぐみして、茫然と突っ立っている。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「大楠公などは偉人ですな。それだのにロクないしぶみさえない。是非建てなければなりませんな。さよう湊川みなとがわの古戦場へな」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
味方はわずか三隻、この小さい艦隊をひきいて、小笠原島に進む木下大佐の心は、湊川みなとがわの戦場に向う、六百年前の、楠木正成くすのきまさしげの心とちがわない。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
湊川みなとがわで戦死した父の首級を見て、自殺せんとして母にいさめられ、其の後は日常の遊戯にまで、朝敵を討ち、尊氏を追う真似ばかりして居たと云う。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
浜に助け舟は多かったが、後より敵が迫るので、船に乗りこむひまがない。止むなく湊川みなとがわ刈藻かるも川を渡り、板宿いたやど、須磨も通って西へ落ちていった。
亀の遊ぶのを見たりとて面白くもなし湊川みなとがわへ行て見んとて堤を上る。昼なれば白面の魎魅りょうみも影をかくして軒を並ぶる小亭かんとして人の気あるは稀なり。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
楠公なんこう湊川みなとがわで、願くは七たび人間に生れて朝敵をほろぼさんと云いながら刺しちがえて死んだのは一例であります。
文芸の哲学的基礎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それに比べては僭越せんえつであるが、建武けんむの昔、楠正成卿が刀折れ矢尽きて後、湊川みなとがわのほとりなる水車小舎に一族郎党と膝を交えて、七しょうまでと忠義を誓われたその有様がどうやら
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
楠公なんこうにもこんな話しがある」と甲斐はゆっくりと続けた、「兵庫の湊川みなとがわで、足利あしかが勢と決戦するまえに、正成まさしげはやはり禅僧それがしを訪ねて、生死関頭を訊いた、禅僧それがしは、 ...
先ず妙子を甲麓荘こうろくそうに訪ねて話をし、次に神戸の湊川みなとがわの某アパートに宿泊している三好を訪ねて、この方も話をつけて来たが、幸子がどんな風な男であったかと聞くと、案外感じのよい青年であった
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
てまえが、湊川みなとがわのご建碑を奉行しておりますあいだ、終始、懸命に働いてくれた人夫のひとりに、勘太かんたという者がおりました。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
楠公は湊川みなとがわにて討死にをとげ、二代の忠臣正行まさつら公には、一時この書を手に入れられたが、またもや奪われて四条なわてにてご最期、三代の楠正儀朝臣まさのりあそんも、三度この書を手に入れられたが
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
このような簡単なものは、ずいぶん古くからあったもので、僕が少年時代、神戸の湊川みなとがわが、まだ淋しい堤防であったとき、その上に掛かった小屋で、「いき人形」を見たのを覚えている。
人造物語 (新字新仮名) / 海野十三(著)
湊川みなとがわ合戦のときにも同じような話がある、楠公は合戦の前に楚俊そしゅんという禅僧をおとない、『生死不識の時如何』と死に臨んでの覚悟をきいた、楚俊は答えて『両頭を裁断し一剣天にって寒し』という
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
楠公一族が、忠烈な碧血へきけつをもって苔と咲かせた摂河泉せっかせんの石を、湊川みなとがわまで運ばせて、大きな碑を建てよう——という計画であるらしくうかがわれた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
湊川みなとがわに立ち寄って、朱舜水の文字を刻したところの、楠氏の墓の前にぬかずいたと、そういわれている人物であり、しかも剣は上州間庭、間庭念流流祖の正統、樋口十郎左衛門に深く学び
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
湊川みなとがわ四条畷しじょうなわて桶狭間おけはざま、川中島、高松城の一舟、松の間の廊下、雪の夜の本所松坂町、劇以上の劇でないところはない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)