木母寺もくぼじ)” の例文
三囲みめぐりから白鬚しらひげ、遠くは木母寺もくぼじまで肩摩轂撃けんまこくげき、土手際にはよしず張りの茶店、くわいの串ざしや、きぬかつぎを売り物に赤前垂が客を呼ぶ。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
「その小間物屋のお糸坊、町内の義理で今年の三月十日、花見船を出して、柳橋から木母寺もくぼじまで漕いで行つたと思つて下さい」
舟の着いたのは、木母寺もくぼじ辺であったかと思う。生憎あいにく風がぱったりんでいて、岸に生えているあしの葉が少しも動かない。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
宿屋を引き上げて一同竹屋の渡しを渡り、桜のわくら葉散りかかる墨堤ぼくていを歩みて百花園ひゃっかえんに休み木母寺もくぼじの植半に至りて酒を酌みつつ句会を催したり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
それが五代将軍綱吉の殺生禁断の時代に取毀とりこわされて、その後は木母寺もくぼじまたは弘福寺を将軍の休息所にあてていたということであるが、大原家の記録によると
鐘ヶ淵 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
けれども試験を受けぬ訳には往かぬから試験前三日といふに哲学のノート(蒟蒻板こんにゃくばんりたる)と手帳一冊とを携へたまま飄然ひょうぜんと下宿を出て向島の木母寺もくぼじへ往た。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
向島むこうじまも明治九年頃は、寂しいもので、木母寺もくぼじから水戸邸まで、土手が長く続いていましても、花の頃に掛茶屋かけぢゃやの数の多く出来てにぎわうのは、言問ことといから竹屋たけやわたしの辺に過ぎませんでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
隅田川すみだがわ木母寺もくぼじ梅若塚うめわかづかの大念仏は十五日で、この日はきまって雨が降る。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「と、……木母寺もくぼじのしもでしたか」
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
二挺の駕籠が木母寺もくぼじの近所におろされたときには、料理茶屋の軒行燈に新しい灯のかげが黄色く映っていた。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
木母寺もくぼじの方も、堀切道も塞がれて、余吾之介は川へ飛びこむより外に逃げ道がなくなってしまいました。
十字架観音 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
遥なる木母寺もくぼじ鉦鼓しょうこに日は暮れ、真崎稲荷まっさきいなりの赤きほこらに降る雪の美し(下巻第六図)と見るもなく
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
向島むかうじま木母寺もくぼじ。平舞臺の下手へよせて、藁ぶき屋根の茶店あり。軒にあづま屋といふ行燈あんどうをかけ、門口に木振よき柳の立木あり。よきところに床几二脚ほどならべてあり。
箕輪の心中 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
空が曇つてぽつり/\降り出した雨が、蔽冠おほひかぶさる櫻の花に遮られて、それほどには着物を濡さぬのを幸ひと、の十二時過ぎ向島の長堤ちやうてい木母寺もくぼじ近くまで歩いた事があつた。
歓楽 (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
それから安政元年に至って更に二百株を補植した。ここにおいて隅田堤の桜花は始て木母寺もくぼじの辺より三囲堤に至るまで連続することになったという。しかしこの時にはまだ枕橋には及ばなかった。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)