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木母寺
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もくぼじ
ふりがな文庫
“
木母寺
(
もくぼじ
)” の例文
三囲
(
みめぐり
)
から
白鬚
(
しらひげ
)
、遠くは
木母寺
(
もくぼじ
)
まで
肩摩轂撃
(
けんまこくげき
)
、土手際にはよしず張りの茶店、くわいの串ざしや、きぬかつぎを売り物に赤前垂が客を呼ぶ。
明治世相百話
(新字新仮名)
/
山本笑月
(著)
「その小間物屋のお糸坊、町内の義理で今年の三月十日、花見船を出して、柳橋から
木母寺
(
もくぼじ
)
まで漕いで行つたと思つて下さい」
銭形平次捕物控:289 美しき人質
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
舟の着いたのは、
木母寺
(
もくぼじ
)
辺であったかと思う。
生憎
(
あいにく
)
風がぱったり
歇
(
や
)
んでいて、岸に生えている
葦
(
あし
)
の葉が少しも動かない。
百物語
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
宿屋を引き上げて一同竹屋の渡しを渡り、桜のわくら葉散りかかる
墨堤
(
ぼくてい
)
を歩みて
百花園
(
ひゃっかえん
)
に休み
木母寺
(
もくぼじ
)
の植半に至りて酒を酌みつつ句会を催したり。
桑中喜語
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
それが五代将軍綱吉の殺生禁断の時代に
取毀
(
とりこわ
)
されて、その後は
木母寺
(
もくぼじ
)
または弘福寺を将軍の休息所にあてていたということであるが、大原家の記録によると
鐘ヶ淵
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
けれども試験を受けぬ訳には往かぬから試験前三日といふに哲学のノート(
蒟蒻板
(
こんにゃくばん
)
に
摺
(
す
)
りたる)と手帳一冊とを携へたまま
飄然
(
ひょうぜん
)
と下宿を出て向島の
木母寺
(
もくぼじ
)
へ往た。
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
向島
(
むこうじま
)
も明治九年頃は、寂しいもので、
木母寺
(
もくぼじ
)
から水戸邸まで、土手が長く続いていましても、花の頃に
掛茶屋
(
かけぢゃや
)
の数の多く出来て
賑
(
にぎわ
)
うのは、
言問
(
こととい
)
から
竹屋
(
たけや
)
の
渡
(
わたし
)
の辺に過ぎませんでした。
鴎外の思い出
(新字新仮名)
/
小金井喜美子
(著)
隅田川
(
すみだがわ
)
木母寺
(
もくぼじ
)
梅若塚
(
うめわかづか
)
の大念仏は十五日で、この日はきまって雨が降る。
つづれ烏羽玉
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
「と、……
木母寺
(
もくぼじ
)
のしもでしたか」
新潮記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
二挺の駕籠が
木母寺
(
もくぼじ
)
の近所におろされたときには、料理茶屋の軒行燈に新しい灯のかげが黄色く映っていた。
両国の秋
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
木母寺
(
もくぼじ
)
の方も、堀切道も塞がれて、余吾之介は川へ飛びこむより外に逃げ道がなくなってしまいました。
十字架観音
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
遥なる
木母寺
(
もくぼじ
)
の
鉦鼓
(
しょうこ
)
に日は暮れ、
真崎稲荷
(
まっさきいなり
)
の赤き
祠
(
ほこら
)
に降る雪の美し(下巻第六図)と見る
間
(
ま
)
もなく
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
向島
(
むかうじま
)
の
木母寺
(
もくぼじ
)
。平舞臺の下手へよせて、藁ぶき屋根の茶店あり。軒にあづま屋といふ
行燈
(
あんどう
)
をかけ、門口に木振よき柳の立木あり。よきところに床几二脚ほどならべてあり。
箕輪の心中
(旧字旧仮名)
/
岡本綺堂
(著)
空が曇つてぽつり/\降り出した雨が、
蔽冠
(
おほひかぶ
)
さる櫻の花に遮られて、それほどには着物を濡さぬのを幸ひと、
夜
(
よ
)
の十二時過ぎ向島の
長堤
(
ちやうてい
)
を
木母寺
(
もくぼじ
)
近くまで歩いた事があつた。
歓楽
(旧字旧仮名)
/
永井荷風
、
永井壮吉
(著)
それから安政元年に至って更に二百株を補植した。ここにおいて隅田堤の桜花は始て
木母寺
(
もくぼじ
)
の辺より三囲堤に至るまで連続することになったという。しかしこの時にはまだ枕橋には及ばなかった。
向嶋
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“木母寺”の解説
木母寺(もくぼじ)は、東京都墨田区にある天台宗の寺院。
(出典:Wikipedia)
木
常用漢字
小1
部首:⽊
4画
母
常用漢字
小2
部首:⽏
5画
寺
常用漢字
小2
部首:⼨
6画
“木”で始まる語句
木
木立
木綿
木偶
木枯
木乃伊
木蔭
木履
木精
木樵