かたはら)” の例文
藤陰は東京繁昌記を評し、かたはら明治初年の社会に論及して、「文明開化やら何やら不相分、太平やら不太平のもとやら不相分之実景」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ふところにいだき入んとするにしうとめかたはらよりよくのませていだきいれよ、みちにてはねんねがのみにくからんと一言ひとことことばにもまごあいするこゝろぞしられける。
路のかたはらにこれを立て少しくもたれかかるやうにしたるに、そのまま石と共にすつと空中に昇り行く心地したり。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
主人の菜園を作つて、かたはら主人の子供に読書よみかきを教へたり、その家の病人を介抱したりしてゐた。
取る事出來ずと云ふをかたはらより一人が往手の道に立ちふさがいやなら否で宜事いゝことなりつかれるとがは少しもなし何でも荷物をかつがせてもらはにや成らぬとゆすり半分喧嘩けんくわ仕懸しかけに傳吉は何とか此場を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
わが祕事はあばかれたり。されどベルナルドオはこれを人に語るべくもあらず。ベルナルドオとわれとの交は、この時より一際ひときは密になりぬ。かたはらに人なき時は、われ等の物語は必ず神曲の事にうつりぬ。
四郎左衛門は隊の勤務のかたはら、伊木の分家伊木木工いぎもく側雇そばやとひと云ふものになつて、撃剣の指南などをしてゐた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その水溜りは後に小さき池になりて、今も家のかたはらにあり。家の名を池の端といふもそのためなりといふ。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
そのなかに芝居土用やすみのうち柏筵はくえん一蝶が引船の絵の小屏風を風入れするかたはらにて、人参にんじんをきざみながら此絵にむかしをおもひいだして独言ひとりごといひたるをしるしたる文に
十月以後、棠軒の女長が于帰うきの事のあつたかたはらに、尚二事の記すべきものがある。棠軒が冢子ちようしめぐむのために算術の師を択んだのが其一である。十月六日のもとに云く。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そのなかに芝居土用やすみのうち柏筵はくえん一蝶が引船の絵の小屏風を風入れするかたはらにて、人参にんじんをきざみながら此絵にむかしをおもひいだして独言ひとりごといひたるをしるしたる文に
登口に鳥居立ち、二、三十本の杉の古木あり。そのかたはらにはまた一つのがらんとしたる堂あり。堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。昔より山の神出づと言ひ伝ふる所なり。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
しうとかたはらにありて、そはよき事也せがれも行べし、実母ばゝどのへもまごを見せてよろこばせ夫婦ふうふして自慢じまんせよといふ。
茶山は肜日のかたはらに線を加へて「八島戦之後四日也」と註してゐる。しかし屋島の戦は二月であつた。然らば壇浦の戦は奈何いかにと云ふに、これは又三月二十二日より遅れてゐるやうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)