施主せしゅ)” の例文
その施主せしゅが旅行中であったにしても、ないにしてもやむを得ないが、同行の一隊の者が全く素人しろうとであったことが悲しいことでした。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その日のお施主せしゅ側は、以前もと青鞜社せいとうしゃの同人たちだった。平塚ひらつからいてう、荒木郁子あらきいくこという人たちが専ら肝入きもいやくをつとめていた。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
信心の大施主せしゅ、少将藤原成経、ならびに沙弥性照しゃみしょうしょう、一心清浄の誠をいたし、三業一致さんごういっちの志をぬきんで、謹しんで、敬い申す。
かずならぬ甥めが後世ごせ安楽のために、関白殿が施主せしゅとなって大法要を催さるるとは、御芳志は海山うみやま、それがしお礼の申し上げようもござらぬ。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
もちろん施主せしゅの尊氏もこれに臨んでいたことはいうまでもあるまい。のみならず、彼は供養が終ったあとで
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その一人が、伊豆屋の菊次郎であったことは言うまでもなく、これがまた、第一等の施主せしゅでもありました。
長旅を致した身の上なれば定めて沢山の施主せしゅもあるまい、一人か二人位の事であろうから、内の坊主どもに云い付けて何か精進物をこしらえさせ、成るたけ金のいらんように
あるいはまたいう、初めは道心を起こして求道者の群れに入ったものが、やがては真理探求の心を忘れ、ただ自分の貴い由を施主せしゅ檀那だんなに説き聞かせて彼らの尊敬供養を得ようとする。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
……袖の下には、お位牌いはいを抱いて葬礼ともらい施主せしゅに立ったようで、こう正しく端然しゃんとした処は、る目に、神々しゅうございます。何となく容子ようす四辺あたりを沈めて、陰気だけれど、気高いんでございますよ。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
藤次郎はふだんからの懇意でもあるので、通夜は勿論、きょうの葬式にも施主せしゅ側と一緒になっていろいろの手伝いをした。
半七捕物帳:45 三つの声 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
一同の墓拝ぼはいがすむとそのことをるると述べて、あとは随意に散会してよいと施主せしゅの辞をむすんでいた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
滑稽こっけいなことはその翌日、壬生寺みぶでらで、昨夜殺された芹沢鴨の葬式があったが、その施主せしゅが近藤勇であったこと。勇は平気な面をして、自分が先に立って焼香もすれば人の悼辞くやみも受ける。
古いその墓石は、誰が建てたのか、惜しいことに行方も知れないので記年も施主せしゅもわからない。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人びとはよろこんで、早速かれを施主せしゅに立たせようとしたが、それは許されなかった。
廿九日の牡丹餅 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
大盤振舞の施主せしゅ自身が、大童おおわらわになって盛替えのお給仕の役をつとめている。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
と、そのうちに施主せしゅの巧雲が、楚々そそと、前へすすんでこうねんじる。まことしやかなその合掌の長いこと。それと白襟しろえりあしのなまめかしいこと。たちまち、お経はみだれてきた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
結局自分が施主せしゅになって、寺内に鯉塚を建立こんりゅうすると、この時代の習い、誰が言い出したか知らないが、この塚に参詣すれば諸願成就すると伝えられて、日々の参詣人がおびただしく
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それは、二人が完全に、湖中に入水じゅすいを遂げたと知ったその日に、二人の供養があの臨湖の湖畔で営まれたこと、そうして、この供養の施主せしゅというのが、疑問の一人の女性であったということです。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
でも、九条家の施主せしゅで、簡素な法要だけは営まれた。勅使もあり、院の代参も見えた。貴賤きせん、雑多な会衆で、鳥羽はずれのいなかびた草庵への道を、織るような人や牛車であった。
「姉さん、今夜はひとつ弟の施主せしゅで、回向えこうをさせてもらいますぜ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なあに、それには及びませんよ。今日は弟が施主せしゅだ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
施主せしゅ 英田あいたむら きん作が母
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
施主せしゅ、検校覚一かくいち
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)