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截然
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せつぜん
ふりがな文庫
“
截然
(
せつぜん
)” の例文
私にもっと鋭敏な感受性があったなら、私は凡てを捨てて詩に走ったであろう。そこには詩人の世界が
截然
(
せつぜん
)
として
創
(
つく
)
り上げられている。
惜みなく愛は奪う
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
あれほどねんごろな
念仏
(
ねんぶつ
)
法門の説教
絵解
(
えと
)
きがあったにもかかわらず、まだ日本人の魂の行くさきは、そう
截然
(
せつぜん
)
たる整理がついていなかった。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
水と油のように夫婦の間には
截然
(
せつぜん
)
たるしきりがあって、それも落ちついて、しきりが水平線を保っていればまだしもだが
吾輩は猫である
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
ところが俳句にあっては
截然
(
せつぜん
)
その間に区別をおいて——そうしてむしろ時雨をあととし紅葉を先として——紅葉を秋季、時雨を冬季としています。
俳句とはどんなものか
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
また漫画とそれ以外の絵画との間に
截然
(
せつぜん
)
たる区劃線を引く事も容易ではない。漫画家自身でもおそらく人によってこれに関する所見を異にするに相違ない。
漫画と科学
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
▼ もっと見る
この絵はその
截然
(
せつぜん
)
たる時代別を、実に明白に描き分けているのでありまして、かくのごときことは画家の想像くらいからは絶対に生み出し得ざる性質のものであります。
ウニデス潮流の彼方
(新字新仮名)
/
橘外男
(著)
この両表現形式がはたして
截然
(
せつぜん
)
たる区別を許すかの問題{1}、すなわち自然形式とは
畢竟
(
ひっきょう
)
芸術形式にほかならないのではないかという問題は極めて興味ある問題であるが
「いき」の構造
(新字新仮名)
/
九鬼周造
(著)
そしてこの期間においては、学問の生活と時務の要求とが
截然
(
せつぜん
)
として二をなしている。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
実中の虚、虚中の実、豈に
截然
(
せつぜん
)
として之を分つべけんや。之を分つは談理の弊なり。
詩人論
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
今ここに上の『渓蛮叢笑』の文とカキツバタの形状とを対照して観ると、その間に
截然
(
せつぜん
)
たる相違点が在って、その燕子花が決してカキツバタに
中
(
あた
)
っていない事が直ちに看取せられる。
植物記
(新字新仮名)
/
牧野富太郎
(著)
といいながら、ひと波をわけて岡埜の前をまわり、土手をおりて、ふたりのほうへ近づこうとするそのとたん、骨に迫るようなするどい気合とともに、右の肩のあたりに
截然
(
せつぜん
)
とせまった剣気。
顎十郎捕物帳:10 野伏大名
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
要するにこれを以て彼に
易
(
か
)
うべからず、彼を以てこれに易うべからざる
截然
(
せつぜん
)
たる区別が、男女両性の天職の間に存在するので、
而
(
しか
)
してこれは、なんらその人格と関係するところ無いものである。
現代の婦人に告ぐ
(新字新仮名)
/
大隈重信
(著)
吾等は短歌を広義抒情詩と見立てるから、叙景・抒情をば
截然
(
せつぜん
)
と区別しないが、総じて赤人のものには、激越性が無く、静かに落着いて、物を
観
(
み
)
ている点を、後代の吾等は学んでいるのである。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
あるいは日本には古くから
天竺
(
てんじく
)
などのように、四種の階級が
截然
(
せつぜん
)
としておったかのごとく、吾も人も信ずるようになった。
家の話
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
四十年来の経験を刻んでなお余りあると見えた余の頭脳は、ただこの
截然
(
せつぜん
)
たる一苦痛を秒ごとに深く
印
(
いん
)
し
来
(
く
)
るばかりを能事とするように思われた。
思い出す事など
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
……こういうふうに全編を通じて見て行っても芭蕉と野坡の「音色」の著しいちがいはどこまでも
截然
(
せつぜん
)
と読者の心耳に響いて
明瞭
(
めいりょう
)
に聞き分けられるであろう。
連句雑俎
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
換言すれば、「いき」の論理的言表の潜勢性と現勢性との間には
截然
(
せつぜん
)
たる区別がある。
「いき」の構造
(新字新仮名)
/
九鬼周造
(著)
「じっと眺め入る」ということもやがては「じっと案じ入る」ということになるのであって、それを
截然
(
せつぜん
)
と切り離して考えるということはむしろできがたいというのが本当なのです。彼の
俳句の作りよう
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
今の世に云う写生文家というものの文章はいかなる事をかいても皆共有の点を有して、他人のそれとは
截然
(
せつぜん
)
と区別のできるような特色を帯びている。
写生文
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
それだのに文学と科学という名称の対立のために、因襲的に二つの世界は
截然
(
せつぜん
)
と切り分けられて来た。
科学と文学
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
余は寧ろ此の話を聴きながら身に余る重い負担を双肩に荷わされたような窮屈さを感じないわけには行かなかった。けれどもこの時の余は、
截然
(
せつぜん
)
としてその委託を謝絶するほどの勇気もなかった。
子規居士と余
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
後世の筆を
執
(
と
)
って文壇に立つものも
截然
(
せつぜん
)
とどっちかに片づけなければならんかのごとき心持がしますからして、ちょっと誤解を生じやすくなります。
創作家の態度
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
ついでながら、切り立ての鋏穴の縁辺は
截然
(
せつぜん
)
として
角立
(
かどだ
)
っているが、
揉
(
も
)
んで拡がった穴の周囲は
毛端立
(
けばだ
)
ってぼやけあるいは捲くれて、多少の
手垢
(
てあか
)
や
脂汗
(
あぶらあせ
)
に汚れている。
雑記(Ⅰ)
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
しかしながらこれは重なる傾向から文学と絵画を分ったまでで、その実は
截然
(
せつぜん
)
とこう云う区別はできんのであります。
文芸の哲学的基礎
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
現在の精密科学の方法の重要な目標は高級な数理の応用と、
精緻
(
せいち
)
な器械を用いる測定である。これが百年前の物理学と今の物理学との間に
截然
(
せつぜん
)
たる区別の目標を与えるのである。
ルクレチウスと科学
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
今の人の自覚心と云うのは自己と他人の間に
截然
(
せつぜん
)
たる利害の
鴻溝
(
こうこう
)
があると云う事を知り過ぎていると云う事だ。
吾輩は猫である
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
すなわちいかな主観的な叙述でも、ある程度まで真を含んでおらんと読みにくいものである、そう
截然
(
せつぜん
)
と片っ方づけられるものじゃないと云う事であります。
創作家の態度
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
この人は同書にまた、
我
(
が
)
、浪漫派、抒情主義などと云う字を使って説明をしております。しかし二者を
截然
(
せつぜん
)
区別のあるごとく論じているのが欠点かと思われます。
創作家の態度
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
遠方にあると云うよりも、昨夜と今日の間に厚い仕切りが出来て、
截然
(
せつぜん
)
と区別がついたようだ。
坑夫
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
心の作用はどんなに立入って細かい点に至っても、これを全体として見るとやはり知情意の三つを含んでいる場合が多い。だからこの三作用を
截然
(
せつぜん
)
と区別するのは全く
便宜上
(
べんぎじょう
)
の抽象である。
文芸の哲学的基礎
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
“截然”の意味
《形容動詞》
截 然(せつぜん)
区別が付く。切り離されたような。はっきりした。
(出典:Wiktionary)
截
漢検1級
部首:⼽
14画
然
常用漢字
小4
部首:⽕
12画
“截”で始まる語句
截
截断
截石
截切
截片
截石法
截江鬼
截割
截鉄
截餘