弥撒ミサ)” の例文
旧字:彌撒
「Mass(弥撒ミサ)と acre(英町エーカー)だよ。続けて読んで見給え。信仰と富貴が、Massacreマッサカー——虐殺に化けてしまうぜ」
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ある日曜日に彼は、サン・スュルピス会堂に行き、小さい時いつも伯母おばから連れてこられたそのヴィエルジュ礼拝堂で弥撒ミサを聞いた。
朝、五時と六時との間に、必ず礼拝が一回行われ、この早朝の弥撒ミサには、老いさらばえた男女が、頑丈な親類の者に背負われて来る。
昨夜ゆうべのことが気がかりなので、教会堂へ行っても上の空でったり膝まずいたりして、弥撒ミサもろくろく耳に入らなかったのである。
老嬢と猫 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
三大節、歌留多かるた会、豆撒き、彼岸、釈迦まつり、ひなのぼりの節句、七夕の類、クリスマス、復活祭、弥撒ミサ祭なぞと世界的である。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
シューベルトは歌劇オペラ交響曲シンフォニー弥撒ミサ、室内楽、歌曲リード、その他あらゆる形式の作曲をし、かつてその天才の泉の涸渇こかつする気色も見せなかった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
ヤアギチは遅れた弥撒ミサに急いで出かけなければならないので、着替えの手伝いをする従卒にぶつぶつ小言を言っているのが隣室から聞こえた。
一八二四年五月七日にヴィーンにおいて『荘厳な弥撒ミサ曲』と『第九交響曲』とが初演せられた。成功は凱旋的であった。それはほとんど喧騒にまで陥った。
もちろん、この『奇跡』は一時間をいでずして、修道院じゅうにも、また、弥撒ミサのために修道院へやって来た世間の人たちの多くにも、知れ渡ってしまった。
弥撒ミサおわって、なんだか亢奮こうふんしているような顔のおおい外人達の間にまざりながら、その教会から出てきた時は、私達もさすがに少しばかり変な気もちになっていた。
木の十字架 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
斎室レフェクトアールで食事をすることも、仕事場アトリエで働くことも、じぶんの独房セリュウルにいることも、聖堂で弥撒ミサを聴くことも出来ないとすればあなたいったいどこに住んでいるんですか」
葡萄蔓の束 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
また弥撒ミサが歌われて人が聖餐を受ければ、それも同様、音楽の目的が達しられたわけです。
弥撒ミサを行ふ間は、わが心自づと強く、身もしまつて、尊い葡萄酒のかゞやきは眼に満ちわたり、聖なる御油みあぶらに思も潤ふが、このわが廊堂の人げない処へ来ると、此世のつかれ崩折くづをれて、くゞまるともかまひない。
法王の祈祷 (新字旧仮名) / マルセル・シュウォッブ(著)
詣づらく朝の弥撒ミサにし毛のあか産子うぶごき来て母貧しかり
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
そしてそういう場合には、丁重に弥撒ミサの勤めに従う。それから、タンタルス(訳者注 永久の飢渇に処せられし神話中の人物)
それから三月みつきほどして、ある日オーレンカは昼のお弥撒ミサから、しょんぼりと、大喪の服に身をつつんで家路を辿っていた。
可愛い女 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
彼の大きい作品の或るものの中に——全体が同一のモチーフの上に建てられているハ調の弥撒ミサ曲の中に人がそれを気づいたのはもうずっと以前からのことである。
弥撒ミサ等を見ては“Diablo simulanti Christum”といわざるを得なかった。
毎朝欠かさずに弥撒ミサへやって来た老嬢が、この頃ぱったり顔を見せなくなったのを不審に思って、彼女の家へ訪ねてゆくと、近所の人達も戸口のところへ駆けて来て
老嬢と猫 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
美しく澄み渡った暖かい晴朗な日和ひよりであった。それは八月の末のことであった。長老との会見は昼の弥撒ミサのすぐあと、だいたい十一時半ごろということに決まっていた。
「殆ど入らっしゃいませんが。……大抵、神父様お一人で毎日のお弥撒ミサをなさいます」
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
その右手のものは、クェーカー宗徒の服装をした英蘭土イングランド地主が所領地図を拡げ、手に図面用の英町尺エーカーざしを持っている構図であって、左手のものには、羅馬ローマ教会の弥撒ミサが描かれてあった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
バッハの全作品中にも、「弥撒ミサロ短調」は厳然としてエヴェレストの観を呈する。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
……鯨骨ほね入りの窮屈な胸衣コルセをつけて、ジュウル・ヴェルヌの教訓小説を読んだり、お弥撒ミサを受けに行ったりしていました。……でも、やっぱり駄目でした。……あたしは、フランス人ではない
キャラコさん:05 鴎 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
弥撒ミサ過ぎぬ修道院裏は毛の紅きたうもろこしの一面の風
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
『とにかく、私が行くから。』弥撒ミサがすんでからあたしは、あの人が娘といっしょに教会堂から出るのを見たわ、それから辻馬車に乗る所も。
翌くる朝の六時に、老嬢が弥撒ミサに出かけるときになっても、プセットは姿を見せなかった。
老嬢と猫 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
きのう追分に来たという神保じんぼ光太郎君と連れ立って、他に二三人の学生同伴で、日曜日の朝、ひょっくり軽井沢に現われ、その教会の弥撒ミサに参列しないかと私を誘いに来てくれたので
木の十字架 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
長い長い朝勤めがすむと、讃祷さんとうがそれに続き、それから弥撒ミサ、謝恩の礼拝。……
「荘厳弥撒ミサ」と「第九交響曲」は、ベートーヴェンの最後の二大傑作であった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
『自分は「すべて」の代わりに、弥撒ミサへだけ顔を出すようなことはできない』
楽譜出版所に大きい借金をしているし、作曲を出しても金は入ってこなかった。予約注文で出した『荘厳な弥撒ミサ曲』の譜は七人しか注文者がなかった。(その中に音楽家は一人もいなかった(56)
そして日曜日の弥撒ミサの後に、村の男や女や子供やすべての人々が、その人の畑に行って刈り入れをしてやり、わらや穀物を納屋へ納めてやります。
日曜日の弥撒ミサに、ドイツ人もフランス人も、イタリイ人も、それからまたポオランド人、スペイン人などまで一しょくたに集まってくる、旧教の聖パウロ教会なんぞは、そんな勤行ごんぎょうをしている間
木の十字架 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼は日曜日には必ず低唱弥撒ミサを聞きに教会へ出かけて行った。いたる所に競争心をかぎつけるその地方の一代議士は、やがて彼の信仰に不安を覚え出した。
二人は一七九〇年七月十四日に練兵場で同盟大会フェデラシオン弥撒ミサ祭をあげたのであるが、タレーランは司教として弥撒をとなえ、ルイは補祭としてそれに働いたのだった。
町の人たちがやがて夜中の弥撒ミサのためにそこを通るので、それらの露店は、紙でこしらえた漏斗形の台の中にともされた蝋燭ろうそくの光で明るく照らされていた、そして
夜半の弥撒ミサもとなえられ、夜食も終わり、酒飲みの連中も立ち去ってしまい、酒場の戸も閉ざされ、その天井の低い広間にも人がいなくなり、火も消えてしまったが
彼女が弥撒ミサを聞きに来るのはこの会堂へではありませんか。——もうきません。——彼女はまだこの家に住んでいますか。——移転しました。——どこへ行きましたか。
リュクサンブールの園の最も人の少ない道に彼女を伴い、また日曜日には、ごく遠いのを好都合としていつもサン・ジャック・デュ・オー・パ会堂の弥撒ミサに連れて行った。
弥撒ミサの書に星印がある所では、ちょっと歌をやめて「イエス・マリア・ヨセフ」と低音に言う。死人の祭式には、女声の最低の音で歌うので、いかにも悲痛な効果をきたす。