いくば)” の例文
しかし更に考ふるに、此定五郎はいくばくならずしてめられ、天保弘化の間に明了軒がこれに代つてゐて、所謂五郎作改五郎兵衞は明了軒自身であつたかも知れない。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
されば両親も琴女をること掌中しょうちゅうたまのごとく、五人の兄妹達にえてひとりこの寵愛ちょうあいしけるに、琴女九歳の時不幸にして眼疾がんしつを得、いくばくもなくしてついに全く両眼の明を失いければ
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
増して年も追々おいおい六十に迫り候老体の事に御座候へば、いづれにも致せ、余命のほどは最早やいくばくも無之事と観念致をり候間、せめて今の中懺悔ざんげのあらまししたため置きたく右の通り書き続け申候也。
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
べんジ其名実ヲただシ集メテ以テ之ヲ大成シ此ニ日本植物誌ヲ作ルヲ素志そしトナシ我身命ヲシテ其成功ヲ見ント欲スさきニハ其宿望遂ニ抑フ可カラズ僅カニ一介書生ノ身ヲ以テ敢テ此大業ニ当リ自ラなげうツテ先ヅ其図篇ヲ発刊シ其事漸クちょつきシトいえどモ後いくばクモナク悲運ニ遭遇シテ其梓行しこうヲ停止シ此ニ再ビ好機来復ノ日ヲ
香以が浅草日輪寺で遊行上人に謁し、阿弥号許多あまたを貰い受けたのもこの頃の事である。香以自己は寿阿弥と号し、いくばくもなくこれを河竹新七に譲って、梅阿弥と更めた。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
壻は新宿しんじゅく岩松いわまつというもので、養父の小字おさなな小三郎を襲ぎ、中村楼で名弘なびろめの会を催した。いまだいくばくならぬに、小三郎は養父の小字を名告なのることをいさぎよしとせず、三世勝三郎たらんことを欲した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)