幕下ばっか)” の例文
かくて、民の平和をながめたうえで、伊那丸をはじめ幕下ばっかの人々、一千の軍兵ぐんぴょう、おもいおもいにたむろをかまえ、はじめて朝の兵糧をとった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それで彼らは自分たちの方の幕下ばっかのものを糾合し遊説して二百人からの人数にんずをこしらえまして、その組合というものを組織したのであった。
天統てんとうの末年に、彼は官命によって、河の堤を築くことになったが、その工事中、幕下ばっかのものに昔話をして、彼は涙をながした。
単于ぜんう幕下ばっかには、李陵りりょうのほかにも漢の降人こうじんが幾人かいた。その中の一人、衛律えいりつという男は軍人ではなかったが、丁霊王ていれいおうの位をもらって最も重く単于に用いられている。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
敵味方相対あいたいしていまだ兵をまじえず、早くみずから勝算しょうさんなきをさとりて謹慎きんしんするがごとき、表面には官軍に向て云々うんぬんの口実ありといえども、その内実は徳川政府がその幕下ばっかたる二
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
あまつさえ後藤宙外ごとうちゅうがいは早稲田を出ると紅葉幕下ばっかに参じ、硯友社の客将として主宰する『新著月刊』を硯友社の新版図しんはんとに献じた。当時の紅葉は四方の書肆しょし文人来貢すという勢いであった。
けれど大塔ノ宮の幕下ばっかは、これをゆゆしい問題とし、恨みにとった。「足利こそは」と、以後は何かにつけ、丸に二引の紋をべつな眼で見た。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さすがに衛青にはこの老将をいたわる気持はあったのだが、その幕下ばっかの一軍吏ぐんりとらを借りて李広をはずかしめた。憤激した老名将はすぐその場で——陣営の中でみずから首ねたのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
宮の候人こうじん殿でんノ法印良忠は、大塔幕下ばっか第一の羽振り者だが、神泉苑にちかい六角の彼のやしきも、宏大なこと、世をも人をも恐れないものがあった。
なぜと申しても、小太郎山こたろうざんとりでには、伊那丸いなまる幕下ばっか小幡民部こばたみんぶ、また、頭領かしらを親のかたきとねらっている咲耶子さくやこなどが、きびしく裾野すそのを見張っております
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊那丸いなまるをはじめ、幕下ばっかの面々、また竹童ちくどう咲耶子さくやこも、とうの一点にひとみをあつめ、ハラハラしながら鳴りをしずめた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だがそれを、清水寺へ納めたすぐあとでは——もう自己の分身のような直義へも、幕下ばっかの諸将へも、ゆめ、そんな本意は、顔のすみにも出しておけなかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「貴公たちは、木曾義仲の幕下ばっかとして、京師けいしに入り、われらは、頼朝公の東国兵と共に、平家の本拠をついて都へなだれ入った。——たしかあの年だったかなあ」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてあらゆる苦心と手引を経て、松永久秀の幕下ばっかにいる父の讐敵しゅうてき坂上主膳と出会うことができた。
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「先夜とらえた群盗の首魁しゅかいが、大塔ご幕下ばっかの者とわかれば、なおさら以て、厳罰に付すべきで、それをゆるしなどしては、治安もくそもありません。ご粛正も空念仏に帰しまする」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「三郎盛綱どのか。珍らしい珍らしい、元の木曾の幕下ばっか太夫房覚明かくみょうじゃ」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いえ、っしゃったのは、ご幕下ばっかのお方で……。すると、おん大将の新田殿は、それを聞いて橋の途中からお戻りになり、たいそうご機嫌のわるいお声で、お侍たちを叱ッておいでられました」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が容易には、幕下ばっかとしてゆるさぬふうが見えるので、光秀はまた
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宮のご幕下ばっかとは。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)