工匠こうしょう)” の例文
その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆をかくし、楽人はしつげんを断ち、工匠こうしょう規矩きくを手にするのをじたということである。(昭和十七年十二月)
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
工匠こうしょうの家を建つるは労働なり。然りといへどものみかんなを手にするもの欣然きんぜんとしてその業を楽しみ時に覚えず清元きよもとでも口ずさむほどなればその術必ずつたなからず。
一夕 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
修築しゅうちく手入ていれなどの場合ばあい用意よういに、工匠こうしょう上下じょうげする足がかりがむねのコマづめから角垂木かどたるきあいだにかくしてあるもので、みんな上へ上へと気ばかりあせっていたので
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近頃彼は、西瓜の荷をになって、江戸城の此処彼処ここかしこにたくさん働いている石置場の人足や、大工小屋の工匠こうしょうや、外廓そとぐるわの足場にいる左官などへ、西瓜を売ってあるいていた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とおせていた目を、すぐ真下ました作事場さくじば——内濠うちぼりのところにうつすと、そこには数千の人夫にんぷ工匠こうしょうが、朝顔あさがおのかこいのように縦横たてよこまれた丸太足場まるたあしばで、エイヤエイヤと
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、秀吉の立った本丸予定地からそれらの眼のとどく限りな地上には、昼夜交代で一刻といえ工事の停止することなき数万の人夫と諸職の工匠こうしょうが、ありの如く働いていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しろ工匠こうしょうか、地水縄取ちすいなわどりの専門家せんもんかとかがまじっているが、上部八風斎かんべはっぷうさいはなかけ卜斎ぼくさいにしても、この人々と築城論試合ちくじょうろんじあいをして勝抜かちぬきにいいやぶることは、なかなか楽とは思われない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
百姓も町人も工匠こうしょうも、流浪の心配なく自分の職業に精出せいだしていた。軍費といえばこぞって税を出した。国主からいわれない先に、彼らは、日常の物を節して、お要用いりようの時に備えていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
店舗てんぽを持っている主人も若いし、騎馬で歩いている役人も、編笠を抑えて大股に過ぐる侍も、労働者も、工匠こうしょうも、物売りも、歩卒も部将も、すべてが若かった。若い者の天地だった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに、数日前から、安土の町々に旅舎やどをとって、待ちかまえていた大小名や、或いは、有資格者の町人、儒家じゅけ、医師、画人、工匠こうしょう、あらゆる階級のものから、大小名の家中も挙げて
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太守肥前守たいしゅひぜんのかみの使者、奥用人の刈屋頼母かりやたのもは、この尊傲そんごう工匠こうしょうの部屋へ通った。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これに動員された人員は、天下の工匠こうしょう三万余、人夫三十万といわれている。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)