嶄然ざんぜん)” の例文
硯友社けんゆうしゃの作家が、文章などに浮身をやつして、本当に人間が描けなかった中で、一葉丈は嶄然ざんぜんとして独自の位置を占めていますからね。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
嶄然ざんぜん、自己の位置が、ここまで擡頭たいとうして来ると、次には必然な——家康との対立がいまは避け難いものとして予想されていたのである。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嶄然ざんぜんとして頭角をあらわすがごとしといえども要するにこれみな政府の余力により、政府の余光を仮りてみずから豪なりとなすにすぎず。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
金峰山は実に立派な山だ、独り秩父山脈中に嶄然ざんぜん頭角を抜いて居る許りではなく、日本の山の中でも第二流を下る山では無い。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
天明年代の役者絵は春章の門人春好しゅんこう春英しゅんえいの手に成り、またこの時代より近世浮世絵史上の最大画家と称せらるる鳥居清長の嶄然ざんぜんとして頭角をあらわすあり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ドヴォルザークの協奏曲は最も新しく、この曲のおびただしいレコード中にも嶄然ざんぜんとしてエヴェレストのごとく聳える。
談笑の間に折衝し着々と自国の利益を計りながら各国使臣の間に嶄然ざんぜん頭角をあらわし、尊敬のマトとなった。
今昔茶話 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
山は海抜三百五十二メートル、さして高いと云えぬながらも、群小諸山の間に嶄然ざんぜん頭角を現わしている。
周防石城山神籠石探検記 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
彼女は奴国の宮の乙女おとめたちの中では、その美しい気品の高さにおいて嶄然ざんぜんとして優れていた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
実際、仁清はわが陶磁発達史上第二期の工人中、全く嶄然ざんぜんとして頭角をあらわしている。
古器観道楽 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
東京朝日新聞とうきやうあさひしんぶん記者きしやにして考古家中かうこかちう嶄然ざんぜん頭角とうかくあらはせる水谷幻花氏みづたにげんくわし同行どうかうして、は四十一ねんぐわつ午前ごぜんくもり鶴見つるみ電車停留場でんしやていりうぢやう到着たうちやくすると、もなく都新聞みやこしんぶん吉見氏よしみし
近代の霊媒中、嶄然ざんぜん一頭地をいて居るのは、何と言ってもステーントン・モーゼスで、その手にれる自動書記の産物『霊訓スピリットティチングス』は、たしかに後世に残るべき、斯界しかいのクラシックである。
此頃に至つては向陵の健児は如何に頑張つても、最早覇権は其手から奪はれて仕舞つた。野球界は宛ら戦国の如き乱麻時代となつた。其内にあつて嶄然ざんぜん頭角を擢んずるものは早慶である。
嶄然ざんぜん足角を現わしている。経済学史を講じているんだが『富国論』と『資本論』との比較なんかさせるとなかなか足角が現われる。馬脚が現われなければいいなと他人ながら心配がるくらいだ。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
『八犬伝』が日本の小説中飛び離れてぬきんでている如く、馬琴の人物もまた嶄然ざんぜんとして卓出している。とかくの評はあっても馬琴の如く自ら信ずるところ厚く、天下の師を以て任じたのは他にはない。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
その金鉱に富み石炭に富み、牛羊は沢々として烟村えんそんに散じ、眼界一望砂糖の天地、小麦の乾坤けんこん、今日においてすでに嶄然ざんぜんその頭角を顕わせり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
今これを春信について見るに春信は宝暦年代にありては鳥居清満とりいきよみつ拮抗きっこうし、明和に入りて嶄然ざんぜんとして頭角を現はすや、当時の浮世絵はことごとく春信風となれり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
曹操以来、久しく一文官として侍側するに止まっていた仲達が、嶄然ざんぜん、その頭角をあらわして来たことなども、まさに時代の一新を物語っているものであろう。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嶄然ざんぜんとして特異の境地を開いたものであった。
洲股すのまたの城を築き、横山城をあずけられ、その任も位置も、いつのまにか、織田軍の将校中では、嶄然ざんぜん重きをなしてきた彼であったが、まことに相変らずである。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)