小島こじま)” の例文
汽船きせんがいくとみえて水平線すいへいせんに、一まつけむりのぼり、おき小島こじまには、よるになると煌々こうこうとしてひかりはな燈台とうだいが、しろとうのようにかすんでいます。
薬売りの少年 (新字新仮名) / 小川未明(著)
東国の武蔵ノ原とか、伊豆のひる小島こじまと聞くだけでも、夢のように、遠い未開地としか想像できない都の者には
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左馬頭さまのかみ義朝の謀叛によって殺される運命にあったが、池禅尼の必死の嘆願で死を免れ、十四歳のとき、永暦えいりゃく元年三月二十日、伊豆国北条ほうじょうひる小島こじまに流されたものである。
これが小島こじま烏水うすい氏以来、屡槍ヶ嶽の登山者が一宿する、名高い嘉門治かもんじの小屋であつた。
槍ヶ岳紀行 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
スマトラとジャワとのあひだ、スンダ海峽かいきようにクラカトアといふ直徑ちよつけい二里程にりほど小島こじまがあつた。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
今にもひる小島こじまの頼朝にても、筑波つくばおろしに旗揚はたあげんには、源氏譜代の恩顧の士は言はずもあれ、いやしくも志を當代に得ず、怨みを平家へいけふくめる者、響の如く應じて關八州は日ならず平家のものに非ざらん。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
東海とうかい小島こじまいそ白砂しらすな
一握の砂 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
それがひる小島こじまに流されていた頼朝だった。当然、彼女はのちの鎌倉殿の御台所となり、老いては、尼将軍政子とかがやく一生をもった。ところが妹の
いまだに、このはなしは、きたみなとのこっています。無人むじん小島こじまは、いまも、青黒あおぐろなみあいだあたまをあらわしています。
幽霊船 (新字新仮名) / 小川未明(著)
文覚は伊豆の住人近藤四郎国隆くにたかのあっせんで奈古屋なごやの奥に住んでいたが、ここから兵衛佐頼朝のいるひる小島こじまは近かった。頼朝と親しくなった文覚は、話相手として殆んど毎日のように訪れていた。
わけて、臭いとにらんでいるひる小島こじま附近には、道々へ昼夜、見張をしのばせて、そこの人出入りをうかがっていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう煩悩や頭のにごりを清掃するためにも、朝ごとの勤行ごんぎょうは、彼自身に必要であった。その声は大きく、彼の声からひる小島こじまけるといってよかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)