大通だいつう)” の例文
そこで、京の芸子や仲居たちは、江戸蔵前くらまえ大通だいつうのお嬢様が、いよいよお立ちというので、走井はしりいの茶屋まで見送ってきたものである。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先日こなひだの晩、京都の大通だいつう岡本橘仙氏が、友達と一緒に和尚を相国寺に訪ねた事があつた。用事が済むと、和尚は待ち兼ねてゐたやうに
こと紫竹しちくとか申した祖父は大通だいつうの一人にもなつて居りましたから、雛もわたしのではございますが、中々見事に出来て居りました。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
と申せば大通だいつうの貴兄大抵は早や御推察の事かと存じ候。拙者とて芸者に役者はつきものなり大概の事なれば見て見ぬ度量は十分有之候。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
札付の道樂者、大通だいつうで金持で日本一のわけ知りと言はれてゐる扇屋丹右衞門の、取卷き見たいなことをしたのが氣に入らない樣子でした。
自分に対して隔意かくいがないからだとも考へ直して見て、そこに昔の大通だいつうのあつさりした遊振りを思合せて、聊かの満足を覚えることもあつた。
瘢痕 (新字旧仮名) / 平出修(著)
無粋ぶすいわたくしどもにはちっとも分りませんが、ある大通だいつうのお客様から伺ったところでは浮気稼業をいたしてる者はかえって浮気でないと仰しゃいます。
次に通俗小説と純文芸とを何故に分けたのか、けたのが間違いだと云った大通だいつうは、幸田露伴氏である。
純粋小説論 (新字新仮名) / 横光利一(著)
室子の家の商売の鼈甲細工が、いちばん繁昌した旧幕の頃、江戸大通だいつうの中に数えられていた室子の家の先代は、この引き堀に自前持ちの猪牙ちょき船を繋いで深川や山谷へ通った。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
西園寺公や雨宮暁あまみやぎょうなどとは時代がちがうが、欧羅巴で一世の豪遊をした大通だいつうの一人で、モンマルトルやモンテ・カルロの老人たちは、雪洲せっしゅうの名は知らなくとも、鹿島の名は記憶していて
西林図 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「もうたくさん——わかりました。時に大通だいつう、いいところへおいで下さった、我々の仲間で、ぜひ一つ通人に腕貸しをしていただきたいのはほかではない——他聞をはばかるによってちと……」
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
弘化三丙午春弥生の序ある『十八大通だいつう』の「大山参納太刀」の一項である。
紙魚こぼれ (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
その頃の大通だいつうの一人で、金があって智恵があって、男前が立派で、よく気がつくのですから、誠に申分のない人柄でした。
平岡熙氏といへば、例の運動好きの平岡寅之助氏の兄さんで、平岡大尽の名を取つた大通だいつうである。
そこで幇間が、津藤に代つて、その客に疎忽そこつの詑をした。さうしてその間に、津藤は芸者をつれて、匇々そうそう自分の座敷へ帰つて来た。いくら大通だいつうでも間が悪かつたものと見える。
孤独地獄 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
その頃の大通だいつうの一人で、金があつて智慧があつて、男前が立派で、よく氣がつくのですから、誠に申分の無い人柄でした。
大叔父は所謂いはゆる大通だいつうの一人で、幕末の芸人や文人の間に知己の数が多かつた。河竹黙阿弥かはたけもくあみ柳下亭種員りうかていたねかず善哉庵永機ぜんざいあんえいき、同冬映とうえい九代目くだいめ団十郎だんじふらう宇治紫文うぢしぶん都千中みやこせんちゆう乾坤坊良斎けんこんばうりやうさいなどの人々である。
孤独地獄 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
主人の源吉は三十そこそこ、歌舞伎役者にもないといわれた男振りと、蔵前の大通だいつう達を圧倒する派手好きで、その頃江戸中に響いた伊達者だてしゃでした。
「フーム、こんな物を持つのは、江戸でも名のある町人か大通だいつう、でなければよっぽど思いあがった人間だ。——おや、煙草入の中に小判が二枚入っているよ」
「フーム、こんな物を持つのは、江戸でも名のある町人か大通だいつう、でなければ餘つぽど思ひあがつた人間だ。——おや、煙草入の中に小判が二枚入つてゐるよ」
江戸の大通だいつうともあろうものが、召使にチョッカイを出して内儀ないぎにうんと油をしぼられていることでしょう。
江戸の大通だいつうともあらうものが、召使にチヨツカイを出して内儀ないぎにうんと油をしぼられてゐることでせう。
江戸の大通だいつう、札差百九人衆の筆頭に据えられる大町人、平右衛門町へいえもんちょうの伊勢屋新六が、本所竪川筋たてかわすじの置材木の上から、百両もする金銀象眼ぞうがん鱮竿たなござおを垂れているところを
見くびっていたので、疑う気にもならなかった。——もっとも後で、お越ではないかしらと気が付いたらしいが、大通だいつうを気取っている源吉は、あの見る影もない下女に手を
當時一流の札差ふださしで、主人の久兵衞は聞えた大町人でもあり、金があるに任せてバラくので、大通だいつうといふ實はカモの別名のやうな綽名あだながあり、獨り娘のお絹は、型の如く美人で
八五郎は大通だいつうのやうに粹をきかせました。折角呼んでくれたお琴は、自分に何んか話したいことがある樣子ですが、何時までも引留めて居ては、お琴のために、惡からうと思つたのです。
創業の殺伐さつばつな氣分が失せて、町人に大通だいつうや物識が輩出し、風流韻事ゐんじも漸く武家の手から町人の手に移つて行く時代で、加納屋甚兵衞最初は兩刀を捨てゝ蓄財に專念し、後に家業を放り出して
本人は大通だいつう中の大通のやうな心持で居るのですが、金持の獨りつ子らしく育つて居る上に、人の意見の口をふさぐ程度に才智が廻るので、番頭達も、親類方も、その僭上せんじやう振りを苦々しく思ひ乍ら
蔵前くらまえ大通だいつうと姉の情事を岡っ引の耳へなど入れたくなかったのでしょう。
本人は大通だいつう中の大通のような心持でいるのですが、金持の独りっ子らしく育っている上に、人の意見の口をふさぐ程度に才智が廻るので、番頭達も、親類方も、その僭上せんじょうぶりを苦々しく思いながら
雑俳ざっぱい楊弓ようきゅう藤八拳とうはちけんから、お茶も香道も器用一方でかじり廻ると、とうとう底抜けの女道楽に落ち込み、札差の株を何万両かに売り払って、吉原に小判の雨を降らせるという大通だいつう気取りの狂態でした。