堺町さかいちょう)” の例文
不義の密通をした奥女中なにがしの顔となり、また柳絮と思ったその首は幾年の昔堺町さかいちょう楽屋がくや新道辺じんみちあたり買馴染かいなじんだ男娼かげまとなっていた。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
安宅あたけの松の鮨、竈河岸へっついがし毛抜けぬき鮨、深川横櫓よこやぐらの小松鮨、堺町さかいちょう金高かねたか鮨、両国の与兵衛よへえ鮨などが繁昌し、のみならず鮨もだんだん贅沢になって
顎十郎捕物帳:22 小鰭の鮨 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
鹿野武左衛門しかのぶざえもんの『鹿しか巻筆まきふで』(巻三、第三話)に、堺町さかいちょうの芝居で馬の脚になった男が贔屓ひいきの歓呼に答えて「いゝん/\といいながらぶたいうちをはねまわつた」
駒のいななき (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
「書物を。——書物など、読んだこともないに。——また、堺町さかいちょうの芝居町でもうろついているのじゃろう」
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
安はもと宗右衛門の恋女房である。天保五年三月に、当時阿部家に仕えて金吾きんごと呼ばれていた、まだ二十歳の安が、宿にさがって堺町さかいちょうの中村座へ芝居をに往った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ずっと昔、浅草猿若町へ、三座がひけぬ前の、葺屋町ふきやちょう堺町さかいちょうの賑いをとりかえしたかの観を呈した。
堺町さかいちょうの小屋は割れッ返るような騒ぎでげす。手前、早速、馳せ参じて、中段を拝見してまいりましたが、まったくもって敬服尊敬けいふくそんきょうの至り。……
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
すると丁度その辺は去年の十月火災にかかった堺町さかいちょう葺屋町ふきやちょう替地かえちになった処とて、ここに新しい芝居町しばいまちは早くも七分通しちぶどおり普請を終えた有様である。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
江戸へ来てから——殊に堺町さかいちょうの遊びの世界に身を置いているあいだに——多くの種々いろいろな型の男を見ていた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわゆる三座と称せられた江戸大劇場しばい濫觴らんしょうで(中村座、市村座、山村座。そのうち山村座は、奥女中江島えしまと、俳優生島新五郎いくしましんごろうのことで取りつぶされた)、堺町さかいちょう葺屋町ふきやちょうにあった。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
すで葺屋町ふきやちょう堺町さかいちょうの両芝居は浅草山あさくさやま宿しゅく辺鄙へんぴへとお取払いになり、また役者市川海老蔵いちかわえびぞうは身分不相応の贅沢ぜいたくきわめたるかどによってこの春より御吟味になった。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
彼は、自分が、堺町さかいちょうの芝居町で、さんざん道草をくって遅くなったことは、頭から忘れていた。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
余は奥村政信が堺町さかいちょう町木戸まちきどより片側かたかわには中村座片側には人形芝居辰松座たつまつざやぐらを見せ、両側の茶屋香具店こうぐてんの前には男女の往来せるさまを描きしものを見たり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
堺町さかいちょうの勘三郎芝居の御簾みすのかげ、浅草寺せんそうじの四万六千日、愛宕あたごの花見幕、綾瀬の月見、隅田の涼み船と——ほとんど、江戸人行楽の盛り場という盛り場で、見かけないというためしがないほど
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天保十三年浅草山あさくさやま宿しゅくに移転を命ぜられし江戸三座劇場のにぎわいも、また吉原と同じく、広重の名所絵においては最早もはや春朗しゅんろう豊国らの描きし葺屋町ふきやちょう堺町さかいちょうの如き雑沓を見ること能はず。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)