吟咏ぎんえい)” の例文
雪をはらふは落花らくくわをはらふにつゐして風雅ふうがの一ツとし、和漢わかん吟咏ぎんえいあまた見えたれども、かゝる大雪をはらふは風雅ふうがすがたにあらず。
余ノ吟咏ぎんえいヲ好ムヤ二十年来作ル所千余首ヲ下ラズ。去月望、都下ノ大災イテワガニ及ベリ。炎威惨虐ニシテ百物蕩尽セリ。稿本マタ一紙ヲ留メズ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大島では笠利かさり鶴松つるまつという女が、さして古い頃の人でないにもかかわらず、島の一個の和泉式部として讃歎せられ、その吟咏ぎんえいは今も記憶せられている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しも行幸でもあって竜田の小鞍峯あたりでの吟咏ぎんえいとすると、小倉山考証の疑問はおのずから冰釈ひょうしゃくするわけであるけれども、「今夜は鳴かず」とことわっているから
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
友として交っている諸家の吟咏ぎんえい一百首を屏風に録し朝夕諷詠ふうえいして挙目会心の楽しみを得たいという。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
けだし芭蕉の盆石ぼんせきが孔夫子の泰山たいさんに似たるをいふなり。芭蕉かつて駔儈そくわいふう軽薄けいはくしふ少しもなかりしは吟咏ぎんえい文章ぶんしやうにてもしらる。此翁は其角がいひしごとく人の推慕すゐぼする事今に於も不可思議ふかしぎ奇人きじんなり。
しかしてこれらの絵本はいづれも当時著名の狂歌師の吟咏ぎんえいを画賛となせり。狂歌集『狂月望きょうげつぼう』及『銀世界ぎんせかい』にはさみたる歌麿の山水は今日こんにち欧洲人の称賛してかざる逸品なり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
けだし芭蕉の盆石ぼんせきが孔夫子の泰山たいさんに似たるをいふなり。芭蕉かつて駔儈そくわいふう軽薄けいはくしふ少しもなかりしは吟咏ぎんえい文章ぶんしやうにてもしらる。此翁は其角がいひしごとく人の推慕すゐぼする事今に於も不可思議ふかしぎ奇人きじんなり。
和歌は『万葉集』のせんありてのち吟咏ぎんえいの法式厳然として一定せられたり。滑稽諷刺の意をあらはさんとするやたまたま落首の一変体ありしといへどもいまだ完全なる一形式をなすに至らざりき。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
蜀山人しょくさんじん吟咏ぎんえいのめりやすにそぞろ天明てんめいの昔をしのばせる仮宅かりたく繁昌はんじょうも、今はあしのみ茂る中洲なかすを過ぎ、気味悪く人を呼ぶ船饅頭ふなまんじゅうの声をねぐら定めぬ水禽みずとり鳴音なくねかと怪しみつつ新大橋しんおおはしをもあとにすると
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
今の芸者が三味線をひくのは唯昔からの習慣と見ればよい。丁度新傾向の俳人がその吟咏ぎんえいにまだ俳句という名称をてずにいるのと同じようなものだ。僕はもう事の是非を論じている時ではない。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)