前跼まえかが)” の例文
「そうだ、これはいまのうちに相談しておかなくちゃいけないと思うんだが」と云って彼は前跼まえかがみになり、両手を左右に開いた
ばちあたり (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
私は前跼まえかがみになると、手のこうをかえしてこぶしの先で三和土の上をあちこち触れてみた。手の甲というものは、冷熱の感覚がたいへん鋭敏である。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
声とともにやや前跼まえかがみに大股で、しきいの上に安川の姿が現れた。伸子を案内した男は階下へ去った。安川冬子は、伸子がある専門学校に僅の間籍を置いていた時、上級の学生であった。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それがようやく一点に集注されると、ルキーンはアッと叫んでドドドッと走り寄った。半ば開かれた扉の間に、長身痩躯そうくの白髪老人が前跼まえかがみに俯伏うつぶして、おとがいを流血の中に埋めている。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
従者は二十二三と思える小柄な青年で、痩せた少し前跼まえかがみになった肩と、反対に仰向になっている頭とがちょっと異様な印象を与えていた。
夜明けの辻 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
金博士は、やっぱり前跼まえかがみになって、飾窓の中をのぞきこみながら口を動かした。博士は、まさか頭の上に忍びよったる大蜘蛛と話をしているのだとは気がついていない様子に見えた。
寝衣ねまきえりをかき合せながら立っていってみると、おおいをかけた行燈のそばに、源六が前跼まえかがみになって、しきりになにかしていた。
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
うす暗い行燈の光りを側へ寄せて、前跼まえかがみに机へ向っている妻の姿を見ると、伊兵衛は膳を置いてそこへ坐り、きちんと膝をそろえておじぎをした。
雨あがる (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
身なりも貧しいし、殊に前跼まえかがみになって、不精らしく左手だけをふところ手にした恰好が、お留伊には忘れることの出来ないほど卑しいものに感じられた。
鼓くらべ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
背の高い平四郎は、ちょっと前跼まえかがみになるような歩きぶりで、座敷へはいりながら、重兵衛と松室に挨拶し、本のはいっているらしい、風呂敷包を、半之助に渡した。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
かぶっている雨合羽はひきがされ、大粒の雨がびしびしと、顔や手を痛いほど強く打った。さわは前跼まえかがみになって風にさからいながら、けんめいに榎のところまで辿たどり着いた。
榎物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
矢立を帯にはさんで、多少前跼まえかがみになり、両手を——それは長くてぶら下げるとひざのあたりまで届くが——だらりと左右に垂れて、かの出ッ尻を後方で振り立てつつ、泥溝板どぶいたを鳴らし
長屋天一坊 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そして急に、両手を桶の中へ突いて前跼まえかがみになり、声をころして泣きはじめた。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
男も女も、老人も子供も、みんな肩をすくめ身を縮めて、おさえつけられるように前跼まえかがみになって、ほんの少しずつ、それこそ飽き飽きするほどのろのろと、列といっしょに動いている。
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
甲斐は一人のときも、れのあるときも、なんとはなしに際立きわだってみえた。背丈の高い躯を少し前跼まえかがみにして、ゆっくりと歩く。顔つきは温かく穏やかで、微笑すると白いきれいな歯がみえた。
せて、眼がおちくぼんで、唇の色も白く、尖った肩を前跼まえかがみにして、いかにもうち砕かれたような姿である。明るく晴れた空から、木洩れ日が彼の顔にまだらの光紋を投げ、また消えては投げする。
めおと蝶 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
彼は前跼まえかがみになり、足を早めて、暗い街を大川のほうへ曲っていった。
へちまの木 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
茶色にやけた肌いちめんに、石灰粉のまだらにこびりついたまま、前跼まえかがみの姿勢でのろのろと鈍重に歩いてゆくようすは、人間というよりも、なにかえたいの知れないけものというようにさえみえた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
茶色にやけたはだいちめんに、石灰粉のまだらにこびりついたまま、前跼まえかがみの姿勢でのろのろと鈍重に歩いてゆくようすは、人間というよりも、なにかえたいの知れないけものというようにさえみえた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)