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但馬国
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たじまのくに
ふりがな文庫
“
但馬国
(
たじまのくに
)” の例文
けれどそこの
海
(
うみ
)
からは、どうしても
日本
(
にっぽん
)
の
国
(
くに
)
へ
入
(
はい
)
る
望
(
のぞ
)
みがないので、ぐるりと
外
(
そと
)
を
回
(
まわ
)
って、
但馬国
(
たじまのくに
)
から
上
(
あ
)
がりました。
赤い玉
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
○又尾張の名古屋の人吉田重房が
著
(
あらは
)
したる
筑紫記行
(
つくしきかう
)
巻の九に、
但馬国
(
たじまのくに
)
多気郡
(
たけこほり
)
納屋村
(
なやむら
)
より川船にて但馬の
温泉
(
いでゆ
)
に
抵
(
いた
)
る
途中
(
みち
)
を
記
(
しる
)
したる
条
(
くだり
)
に
曰
(
いはく
)
、○猶舟にのりて
行
(
ゆく
)
。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
天保十二年五月簡堂は水野越前守忠邦が革政の際総毛の代官より
抜擢
(
ばってき
)
せられて勘定吟味役兼
納戸頭
(
なんどがしら
)
となり、天保十四年六月
但馬国
(
たじまのくに
)
生野
(
いくの
)
銀山の視察に出張し、同年九月帰府の後
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
これが忠盛の尽力で完成したときは、大へんな喜びようだったといわれる。そのとき
備前守
(
びぜんのかみ
)
だった忠盛は、
但馬国
(
たじまのくに
)
の国司に任ぜられ、その上、あんなに待ち望んでいた昇殿を始めて許された。
現代語訳 平家物語:01 第一巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
○又尾張の名古屋の人吉田重房が
著
(
あらは
)
したる
筑紫記行
(
つくしきかう
)
巻の九に、
但馬国
(
たじまのくに
)
多気郡
(
たけこほり
)
納屋村
(
なやむら
)
より川船にて但馬の
温泉
(
いでゆ
)
に
抵
(
いた
)
る
途中
(
みち
)
を
記
(
しる
)
したる
条
(
くだり
)
に
曰
(
いはく
)
、○猶舟にのりて
行
(
ゆく
)
。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
▼ もっと見る
また
天日矛
(
あまのひぼこ
)
はこちらへ
渡
(
わた
)
って
来
(
く
)
るときに、りっぱな
玉
(
たま
)
や
鏡
(
かがみ
)
などのいろいろの
宝
(
たから
)
を
八品
(
やしな
)
持
(
も
)
っていましたが、この
宝
(
たから
)
は、
後
(
のち
)
に
但馬国
(
たじまのくに
)
の
出石
(
いずし
)
の
大神
(
おおがみ
)
とまつられました。
赤い玉
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
むかし、
但馬国
(
たじまのくに
)
におまつられになっている
出石
(
いずし
)
の
大神
(
おおがみ
)
のお
女
(
むすめ
)
に、
出石少女
(
いずしおとめ
)
という
大
(
たい
)
そう
美
(
うつく
)
しい
女神
(
めがみ
)
がお
生
(
う
)
まれになりました。この
少女
(
おとめ
)
をいろいろな
神様
(
かみさま
)
がお
嫁
(
よめ
)
にもらおうと
思
(
おも
)
って
争
(
あらそ
)
いました。
春山秋山
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
“但馬国”の意味
《固有名詞》
但 馬 国(たじまのくに)
日本の旧国(令制国)のひとつ。現在の兵庫県北部にあたる。
(出典:Wiktionary)
“但馬国”の解説
但馬国(たじまのくに、古文書では「儋馬國」と表記)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。
(出典:Wikipedia)
但
常用漢字
中学
部首:⼈
7画
馬
常用漢字
小2
部首:⾺
10画
国
常用漢字
小2
部首:⼞
8画
“但馬”で始まる語句
但馬
但馬守
但馬守宗矩
但馬地震
但馬屋
但馬皇女
但馬守胤統
但馬君
但馬滋
但馬牛