一茶いっさ)” の例文
むろんそのリリシズムは、蕪村にも一茶いっさにも共通しているのであるが(俳句が抒情詩の一種である以上、それは当然のことである。)
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
私は昭和二年の秋、この喜多見きたみの山野のくぬぎ原に、わずかな庭をもつ書斎を建てて、ここを一茶いっさのいうついの住みかにしようという気になった。
例えば、江月こうげつ和尚のごとき、原伯茶宗のごとき、あるいは、一茶いっさの書なんぞは、そんなことをいって宜しいと思います。
よい書とうまい書 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
その宗祇時代から芭蕉に至るまでの間には宗鑑そうかん守武もりたけ貞徳ていとく宗因そういん等の時代を経ているのである。また芭蕉以後蕪村ぶそん一茶いっさ、子規を経て今日に至る。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
いにしえ蜀山しょくさん一九いっくは果して如何いかなる人なりしか知らず。俳句界第一の滑稽家として世に知られたる一茶いっさは必ずまじめくさりたる人にてありしなるべし。(一月三十日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
また一茶いっさには森羅万象しんらばんしょうが不運薄幸なる彼の同情者慰藉者いしゃしゃであるように見えたのであろうと想像される。
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この句は、君、一茶いっさが子供に死なれて、露の世とあきらめてはいるが、それでも、悲しくてあきらめ切れぬという気持の句だった筈ではなかったかしら。それを、まあ、ひどいじゃないか。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
希臘ギリシヤ羅馬ローマ以降泰西たいせいの文学は如何ほどさかんであったにしても、いまだ一人いちにんとして我が俳諧師其角きかく一茶いっさの如くに、放屁や小便や野糞のぐそまでも詩化するほどの大胆をあえてするものはなかったようである。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これは一茶いっさという俳諧師はいかいしの書いておいた句です。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
僕はようやく芭蕉や一茶いっさの句を理解し、その特殊な妙味や詩境に会得えとくを持つようになったけれども、従来の僕にとって、芭蕉らの句は全く没交渉の存在であり
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
ふたたび新境地をひらくだけの人が出なかったために、程なくまた様式の中に没頭してしまい、蕪村ぶそん一茶いっさ発句ほっくでは大家のようであるが、天明・文化の俳諧は
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
後世一茶いっさの俗語を用いたる、あるいはこれらの句より胚胎はいたいし来たれるにはあらざるか。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
一茶いっさ自身の運命にも、なにかそうしたところがありはしなかっただろうか。
一茶の書 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
一茶いっさが句には
葡萄棚 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
一、俳句に貞徳ていとく風あり、檀林だんりん風あり、芭蕉ばしょう風あり、其角きかく風あり、美濃みの風あり、伊丹いたみ風あり、蕪村ぶそん風あり、暁台きょうたい風あり、一茶いっさ風あり、乙二おつに風あり、蒼虬そうきゅう風あり、しかれどもこれ歴史上の結果なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
一茶いっさの『方言雑集』にオバチコとあるのが、多分北信の例であろう。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
後世一茶いっさの俗語を用ゐたる、あるいはこれらの句より胚胎はいたいし来れるには非るか。薬喰の句は蕪村集中の最俗なる者、一読に堪へずといへども、一茶は殊にこの辺より悟入したるかの感なきに非ず。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ありの道雲の峯より続きけり 一茶いっさ
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
川狩や地蔵の膝に小脇指 一茶いっさ
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)