“ちょうほう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
重宝71.6%
諜報9.1%
調法5.7%
聴法3.4%
張苞2.3%
張宝2.3%
朝奉1.1%
弔砲1.1%
打炮1.1%
牒報1.1%
調宝1.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
海の向うにつらなる突兀とっこつ極まる山脈さえ、坐っていると、窓の中に向うから這入はいって来てくれるという重宝ちょうほううちなんだそうである。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
江戸の新聞は落首と悪刷あくずりであったように、江戸の諜報ちょうほう機関はう言った早耳と井戸端会議と、そして年中どこかで開かれている、寄合い事であったのです。
そして、こんな調法ちょうほうないいちゃわんを使つかったことはない。それで、だれがこのちゃわんをつくったかおまえがっていたなら、ききたいとおもったのだ。
殿さまの茶わん (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかし尼提は経文きょうもんによれば、一心に聴法ちょうほうをつづけたのち、ついに初果しょかを得たと言うことである。
尼提 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そのほか関興、張苞ちょうほうなどもことごとく兵をひきいて出払い、しかも孔明自身もまた床几しょうぎ祁山きざんのいただきに移し、しきりと西の方面を望んでいた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「もと黄巾の張宝ちょうほうに従っていましたが、いまは山林にかくれて、ただ将軍の威名を慕い、いつかは拝姿の日もあろうにと、常々、その周倉からてまえもお噂を聞かされていたのです」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとつ今度はおまえ自身が行って、朝奉ちょうほうに会い、直接、よくかけあってみたらどうだ
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
祝彪しゅくひょうが大笑すると、父の朝奉ちょうほうも、満座の面々も、みな手を打って
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弔砲ちょうほうが鳴つて、非常な盛儀であつた。あのまま息を引きとつた彼女の顔は、ガラスのひつぎのなかで白蝋はくろうのやうに静かであつた。僕は純白の花束を、人々の後ろから墓穴のなかへ投げてやつた。
わが心の女 (新字旧仮名) / 神西清(著)
多きは十数人、少きは三四人の売女を一軒に置き、老鴇門頭ろうほうもんとう等がこれを監督して夜昼の分ちなく商売を勧める。白昼客をとるのを打炮ちょうほうといい、其うちに入って打炮しない客を跳老虫ちょうろうちゅうという。
地下街の司令部では、印刷電信機が、リズミカルな響をあげて、各所の要地から集ってくる牒報ちょうほうを、仮名文字かなもじに打ち直していた。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
貞時はきこんでこの家の主人によく事情を話して、すぐに只今ただいまから同伴するようにいった。然らずばなかなかこの家にもそなたを調宝ちょうほうがって離すまいといった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)