“張宝”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
ちょうほう | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「もと黄巾の張宝に従っていましたが、いまは山林にかくれて、ただ将軍の威名を慕い、いつかは拝姿の日もあろうにと、常々、その周倉からてまえもお噂を聞かされていたのです」
“張宝”の解説
張 宝(ちょう ほう、? - 184年)は、中国後漢末期の人物。黄巾党の指導者の一人。兄は張角。弟は張梁。地公将軍と自称した。
兄の張角が黄巾の乱を起こすと弟の張梁と共にこれを補佐した。張角は既に反乱を起こしたときに病の身であったため、実質的には張宝が指揮を執っていたといわれている。
しかし朝廷の討伐軍が態勢を整えると、黄巾軍は敗北し広宗に籠城した。また籠城中に張角が病死し、張梁も戦死したという。残る張宝は下曲陽に籠城したが、皇甫嵩率いる討伐軍に大敗し、首を京観として城南の塚に埋められた。
(出典:Wikipedia)
兄の張角が黄巾の乱を起こすと弟の張梁と共にこれを補佐した。張角は既に反乱を起こしたときに病の身であったため、実質的には張宝が指揮を執っていたといわれている。
しかし朝廷の討伐軍が態勢を整えると、黄巾軍は敗北し広宗に籠城した。また籠城中に張角が病死し、張梁も戦死したという。残る張宝は下曲陽に籠城したが、皇甫嵩率いる討伐軍に大敗し、首を京観として城南の塚に埋められた。
(出典:Wikipedia)