張苞ちょうほう)” の例文
それはさきに負傷して成都へ還っていた張飛の子張苞ちょうほうの死であった。破傷風はしょうふうを併発してついに歿したという知らせが孔明の手もとに届いた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのほか関興、張苞ちょうほうなどもことごとく兵をひきいて出払い、しかも孔明自身もまた床几しょうぎ祁山きざんのいただきに移し、しきりと西の方面を望んでいた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関興、張苞ちょうほうなどの若手組は、案のごとく、この陣払いにたいして、不満を表示したが、それも楊儀になだめられて、着々ここを引揚げにかかりだした。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もしここへ、味方の傅彤ふとう張苞ちょうほうなどが馳けつけて来なかったら、彼の運命は呉の大将どもに託されていただろう。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
張苞ちょうほうの二人に各〻兵二万をさずけ、遊軍として、諸方の攻め口に万一のある場合、奔馳ほんちして救うべしといいつけてありますから、どうか御心を安められますように
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「雪か、わが鬢髪びんぱつか。思えばちんも老いたが、また帷幕いばくの諸大将も、多くは年老い、冬の陣も耐うるにこたえてきた。しかし関興、張苞ちょうほうの若いふたりが役立ってきたので、朕も大いに気づよく思うぞ」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)