諜報ちょうほう)” の例文
なぜならば、去年八月、斎藤義龍さいとうよしたつの病死と聞えたのは、その後、敵の戦意や諜報ちょうほうから見ても、もはや確実なことだったからである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸の新聞は落首と悪刷あくずりであったように、江戸の諜報ちょうほう機関はう言った早耳と井戸端会議と、そして年中どこかで開かれている、寄合い事であったのです。
刈屋かりやの御城主、水野忠重どのもまた、数正と諜報ちょうほうわし、いずこの道をえらんでか、城をすてて、大坂方へはしられた様子でござる」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸中に諜報ちょうほうの網を張っている順風耳はやみみの八五郎は、毎日下っ引が持ってくるおびただしい事件の中から、モノになりそうなのを一応調べて親分の銭形平次に報告するのです。
根来ねごろへ、根来へ、とそれは奔河ほんがをなして行く。早くも、根来の衆徒は、諜報ちょうほうにこぞり立って、泉州せんしゅう岸和田きしわだ附近から、千石堀せんごくぼり積善寺しゃくぜんじ浜城はましろなどにわたって、とりでを構え
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
刻々の諜報ちょうほうは、その家康の行動を、いながら彼に明らかに知らせている。家康もまたわれに劣らぬ覚悟と悪意と全力とを傾けつつあることが手に取るように彼には見える。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諜報ちょうほうによれば、この三月なかばまでには、信雄は清洲に移り、家康は岡崎を発し、両者は清洲に会同して、作戦をねり、かつ大々的に秀吉の非を鳴らして、自己の名分を天下に訴え、堂々と
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、城市のまん中にあるいかめしい官衙かんがには、泣く子もだまるという怖ろしいお奉行が住んでいた。外は他国の諜報ちょうほう策動に、内は市民の道義と起居に、いやしくも法縄ほうじょうを飾り物にはしていない。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ばくろ町へ行って、武蔵の張番に立っている若い者からの諜報ちょうほうによると
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諸方にあみの目を張っている物見の諜報ちょうほうは実に早い。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、議事の半ばに、江北の諜報ちょうほうがとどいて
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諜報ちょうほうを聞いて、利家は
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)