“臨(のぞん)” の例文
釈迦如来の知らざるところ、親鸞上人の知らざるところなり、嗚呼(ああ)あに偉ならずや、予はなお終(おわり)に臨(のぞん)で一言せん。
絶対的人格:正岡先生論 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
此時に臨(のぞん)で死亡(しばう)せしもの、雪あれのやむを待(まつ)も程(ほど)のあるものゆゑ、せんかたなく雪あれを犯(をかし)て棺(くわん)を出(いだ)す事あり。
此時に臨(のぞん)で死亡(しばう)せしもの、雪あれのやむを待(まつ)も程(ほど)のあるものゆゑ、せんかたなく雪あれを犯(をかし)て棺(くわん)を出(いだ)す事あり。
さて下に三把を並(なら)べ、中には二把、上(うへ)には一把、これを縄(なは)にて強く縛(くゝ)し麓(ふもと)に臨(のぞん)で蹉跌(すべらかす)に、凍(こほり)たる雪の上なれば幾百丈の高も一瞬(まばたき)の間(ま)にふもとにいたるを輴(そり)にのせて引(ひき)かへる。
さて下に三把を並(なら)べ、中には二把、上(うへ)には一把、これを縄(なは)にて強く縛(くゝ)し麓(ふもと)に臨(のぞん)で蹉跌(すべらかす)に、凍(こほり)たる雪の上なれば幾百丈の高も一瞬(まばたき)の間(ま)にふもとにいたるを輴(そり)にのせて引(ひき)かへる。
十二三歳より太布(ふとぬの)をおりならはす、およそ十五六より二十四五歳までの女気力(きりよく)盛(さかん)なる頃(ころ)にあらざれば上品(ひん)の縮は機工(きかう)を好(よく)せず、老(おい)に臨(のぞん)では綺面(はたづら)に光沢(つや)なくして品質(しながら)くだりて見ゆ。
○そも/\金銭の貴(たつとき)こと、魯氏(ろし)が神銭論(しんせんろん)に尽(つく)したれば今さらいふべくもあらず。年(とし)の凶作はもとより事に臨(のぞん)で餓(うゑ)にいたる時小判を甜(なめ)て腹(はら)は彭張(ふくれ)ず、餓(うゑ)たる時の小判一枚は飯一碗(わん)の光をなさず。