縁頭ふちがしら)” の例文
この刀なんぞもその一つじゃ、よく見て置かっしゃれ、鞘はこの通り梨子地……つば象眼ぞうがん扇面散せんめんちらし、縁頭ふちがしらはこれ朧銀ろうぎんで松に鷹の高彫たかぼり目貫めぬきは浪に鯉で金無垢きんむくじゃ
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
先刻せんこくより御覧に入れた、此なるつるぎ、と哥太寛の云つたのが、——卓子テエブルの上に置いた、蝋塗ろうぬり鮫鞘巻さめざやまき縁頭ふちがしら目貫めぬきそろつて、金銀造りの脇差わきざしなんです——此の日本のつるぎ一所いっしょ
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
親父おやじが自慢に人様が来ると常々見せましたが、縁頭ふちがしら赤銅七子しゃくどうなゝこに金の三羽千鳥が附きまして、目貫めぬきも金の三羽千鳥、これは後藤宗乘の作で出来のいのだそうで、さめはチャンパン
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
勝色定紋かちいろじょうもんつきの羽二重の小袖に、茶棒縞の仙台平せんだいひらの袴を折目高につけ、金無垢の縁頭ふちがしらに秋草を毛彫りした見事な脇差を手挾たばさんでいる。どう安くふんでも、大身の家老かお側役といったところ。
顎十郎捕物帳:10 野伏大名 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
拜見するにうたがひもなき天下三品の短刀にて縁頭ふちがしら赤銅斜子しやくどうなゝこに金葵の紋散し目貫は金無垢の三疋の狂獅子くるひじしさくは後藤祐乘いうじようにて鍔は金の食出し鞘に金梨子地に葵の紋散し中身は一尺七寸銘は志津三郎兼氏かねうぢなり是は東照神君が久能山くのうざんに於て御十一男紀州大納言常陸介頼宣卿へ下されし物なり又同じこしらへにて備前三郎信國のぶくにの短刀は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
りが後藤だとか、毛唐だとか、縁頭ふちがしらが何で、鳶頭とびがしらがどうしたとか、目ぬきがどうで、毛抜がこうと、やかましい能書のうがきものなんでございましょうが、何をいうにも三下奴
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
先刻せんこくより御覽ごらんれた、これなるつるぎ、と哥太寛こたいくわんつたのが、——卓子テエブルうへいた、蝋塗らふぬり鮫鞘卷さめざやまき縁頭ふちがしら目貫めぬきそろつて、金銀造きんぎんづくりの脇差わきざしなんです——日本につぽんつるぎ一所いつしよ
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
それから廿日正月までに、おさやぬりから柄糸つかいとを巻上げますのは間に合いますと、そこは酔っていても商売ゆえ、後藤祐乘ごとうゆうじょうの作にて縁頭ふちがしら赤銅斜子しゃくどうなゝこに金の二ひきのくるい獅子の一輪牡丹
その刀は縁頭ふちがしらが鉄のくさりで、そこに「田中新兵衛」と持主の名前が明瞭にきざんであった。中身は主水正正清もんどのしょうまさきよこしらえはすべて薩州風、落ちていた鞘までが薩摩出来に違いないのであった。
と言って主膳は、やや遠く離して置いてあった例の梨子地の鞘の長い刀の手繰たぐって身近く引寄せて、鞘のこじりをトンと畳へ突き立てて、朧銀ろうぎん高彫たかぼりした松に鷹の縁頭ふちがしらのあたりに眼を据えました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)