米八よねはち)” の例文
また『春色梅暦』では、丹次郎たんじろうたずねて来る米八よねはち衣裳いしょうについて「上田太織うえだふとりの鼠の棒縞、黒の小柳に紫の山まゆ縞の縮緬を鯨帯くじらおびとし」
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
芳町よしちょう米八よねはち、後に今紫と一緒に女優となって、千歳米波ちとせべいはとよばれたは、わたしの知っている女の断髪の最初だと思う。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
作爲といへば爲永春水ためながしゆんすゐ梅暦うめごよみにも、小梅の茶屋で、逢曳する所があるね、そして約束の男の丹次郎がなか/\來ないのを、米八よねはちが獨りじれながら待つてゐる。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
潜門くぐりもんの板屋根にはせた柳がからくも若芽の緑をつけた枝をたらしている。冬の昼過ぎひそかに米八よねはちが病気の丹次郎たんじろうをおとずれたのもかかる佗住居わびずまい戸口とぐちであったろう。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「そいつも、一つ、タカノコモコ、と願いたいよ。……何しろ、米八よねはち仇吉あだきちの声じゃないな。彼女等きゃつらには梅柳というのがしゅんだ。夏やせをするたちだから、今頃は出あるかねえ。」
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
潜門くゞりもん板屋根いたやねにはせたやなぎからくも若芽わかめの緑をつけた枝をたらしてゐる。冬の昼過ひるすひそかに米八よねはちが病気の丹次郎たんじらうをおとづれたのもかゝる佗住居わびずまひ戸口とぐちであつたらう。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
また同書巻之九に「意気のなさけの源」とあるように、意識現象に「いき」の語を用いる場合も多いし、『春色辰巳園』巻之三に「姿も粋な米八よねはち」といっているように
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
遊女に今紫があれば芸妓に芳町よしちょう米八よねはちがあった。後に千歳米坡と名乗って舞台にも出れば、寄席よせにも出て投節なげぶしなどを唄っていた。彼女はじきに乱髪らんぱつになる癖があった。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「いつも立寄る湯帰りの、姿も粋な」とは『春色辰巳園しゅんしょくたつみのその』の米八よねはちだけに限ったことではない。「垢抜あかぬけ」した湯上り姿は浮世絵にも多い画面である。春信はるのぶも湯上り姿を描いた。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
明治廿四年浅草公園裏の吾妻あづま座(後の宮戸座)で、伊井蓉峰いいようほうをはじめ男女合同学生演劇済美館の旗上げをした時、芳町よしちょうの芸妓米八よねはちには千歳米波ちとせべいはと名乗らせた時分だったか、もすこしあと
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)