登城とじょう)” の例文
これと同時に抽斎は式日しきじつ登城とじょうすることになり、次いで嘉永かえい二年に将軍家慶いえよしに謁見して、いわゆる目見めみえ以上の身分になった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
が、賀節がせつ朔望さくぼう二十八日の登城とじょうの度に、必ず、それを一本ずつ、坊主たちにとられるとなると、容易ならない支出である。
煙管 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
大目附は、登城とじょう下城げじょうに城中を通るとき、えへん、えへんと盛んにこの出もしない咳をして歩く。殊に、若侍の多いたまりへでも近づくと、咳のしつづけである。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
人が目をそばだてても、耳をそびやかしても、冷評しても罵詈ばりしても自分だけは拘泥せずにさっさと事を運んで行く。大久保彦左衛門おおくぼひこざえもんたらい登城とじょうした事がある。……
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「はッはッはははは。いやほんのたいくつまぎれ。それより家康どのには、近ごろめずらしいご登城とじょう
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さて、いよいよ明日は登城とじょうして、殿との様の御前ごぜんでうらないをするというばんです。六兵衛はまんじりともせず考えこんでいましたが、なんにもいい考えはかんで来ません。
とんまの六兵衛 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
私の主人なんのかみという大名が登城とじょうの途中に、貴方あなたの馬に乗ってゆかれる姿勢を見、西洋のくらが面白い、まだ見たことがないから、どうか拝見したい、また乗人のりても見事に乗っている
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「母上ただいま登城とじょうをつかまつります」
日本婦道記:梅咲きぬ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
重みをはかるように、「その前に、今一度出仕して、西丸の大御所様(吉宗)へ、御目通りがしたい。どうじゃ。十五日に、登城とじょうさせてはくれまいか。」
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
嘉永二年三月七日に、抽斎は召されて登城とじょうした。躑躅つつじにおいて、老中ろうじゅう牧野備前守忠雅ただまさ口達こうたつがあった。年来学業出精につき、ついでの節目見めみえ仰附けらるというのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
維新前に、どこかの殿様が行列を正して西丸にしのまる近所を通って登城とじょうするさい、外国人が乗馬でその行列のはな乗切のっきった。殿様はもとよりその従者も一方ひとかたならず憤慨ふんがいし、殿とのはただちに通訳を
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
登城とじょう下城げじょうに、それとなく、要心していた。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
加州かしゅう石川ごおり金沢城の城主、前田斉広なりひろは、参覲中さんきんちゅう、江戸城の本丸ほんまる登城とじょうする毎に、必ず愛用の煙管きせるを持って行った。
煙管 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
成善は近習小姓の職があるので、毎日登城とじょうすることになった。宿直は二カ月に三度位であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
既に病気が本復した以上、修理は近日中に病緩びょうかんの御礼として、登城とじょうしなければならない筈である。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
十四日に江戸を立って、十九日に興津おきつ清見寺せいけんじに着いた。家康は翌二十日のうまの刻に使を駿府の城にした。使は一応老中本多上野介正純ほんだこうずけのすけまさずみやしきに入って、そこで衣服を改めて登城とじょうすることになった。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)