毛利もうり)” の例文
どう思ったか毛利もうり先生が、その古物の山高帽やまたかぼうを頂いて、例の紫の襟飾ネクタイ仔細しさいらしく手をやったまま、悠然として小さな体を現した。
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
南谷は佐伯さえき毛利もうり伊勢守高標たかすえの実弟にして旗本滝川大学利広の養子となり、寛政十年より甲府勤番支配の職にあったのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
といったが、てんで耳もかさず、くらから毛利もうりの屋敷のほうへ曲り、横丁をまわりくねりしたすえ、浜町はまちょう二丁目の河岸っぷちに近いところへ出た。
秀吉ひでよし家康いえやすをはじめ、加賀かが前田まえだ毛利もうり伊達だて上杉うえすぎ北条ほうじょう長曾我部ちょうそかべ、みなそれぞれ名器めいき武将ぶしょうであるけれど、かれらはじぶんのこうをいそぐ以外いがいに、かみしも
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武田のほろびた天正十年ほど、徳川家の運命のはかり乱高下らんこうげした年はあるまい。明智光秀あけちみつひでが不意に起って信長を討ち取る。羽柴秀吉はしばひでよし毛利もうり家と和睦わぼくして弔合戦とむらいがっせんに取って返す。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
まして将軍家の進発と聞いたら驚き恐れて毛利もうり父子が大坂に来たり謝罪して御処置を奉ずるのは、あだかも関ヶ原のあとで輝元てるもと一家が家康公におけるがごとくであろう。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
たとえば大江広元の一族は、相州愛甲あいこう毛利もうり荘に本領があって、毛利を名乗っていた。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
参府さんぷの折も、松平大膳大夫だいぜんのだいぶの領内防州小郡ぼうしゅうおごおりみなとから上陸し萩城を一覧する所存で、一の坂を越え、蟹坂かにざかまでノコノコやって行ったところを毛利もうりの家中に発見され、生捕って江戸表へ訴え出
聚落じゅらく安芸あき毛利もうり殿のちんにて連歌の折、庭の紅梅につけて、梅の花神代かみよもきかぬ色香かな、と紹巴法橋がいたされたのを人〻褒め申す」と答えたのにつけて、神代もきかぬとの業平なりひらの歌は
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
もはや島津しまづ毛利もうり等の大貴族の子孫の存在を、独り名誉上に認めて尊敬するまでであって、社会上、政治上には共になんらの勢力をも有しておらぬ。いわんや、その他の幕府の三百藩は言うに及ばぬ。
自分の中学は、当時ある私立中学で英語の教師を勤めていた、毛利もうり先生と云う老人に、今まで安達先生の受持っていた授業を一時嘱託した。
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
尾州の家老成瀬なるせ氏は犬山に、竹腰たけごし氏は今尾いまおに、石河いしかわ氏は駒塚こまづかに、その他八神やがみ毛利もうり氏、久々里くくり九人衆など、いずれも同じ美濃の国内に居所を置き、食邑しょくゆうをわかち与えられている。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
毛利もうり人質ひとじちをだしてをねがう。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて毛利もうり先生は、こう同じ調子で繰返した。それから今度はその後へ、丁度その諸君と云う声の反響を捕えようとする如く
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
西国の強大毛利もうりなのである。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
毛利もうりと、織田と。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)