棄児すてご)” の例文
旧字:棄兒
与八こそは、全く世のうところの教育せられない民でありました。彼は棄児すてごですから、家庭の教育というものがありません。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
長二もかねおりもあらば和尚にだけは身の上の一伍一什いちぶしじゅうを打明けようと思って居りました所でございますから、幸いのことと、自分は斯々かく/\棄児すてごにて
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
母様もまたそばからまあ棄児すてごにしては可哀相でないかッて、お聞きなすったら、じいさんにやにやと笑ったそうで
化鳥 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
死んだ棄児すてごの稲次郎が古巣に、大工の妾と入れ代りに東京からほんを読む夫婦の者が越して来た。地面は久さんの義兄のであったが、久さんの家で小作をやって居た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
小文吾こぶんごが牛の闘を見に行きました時のともをしました磯九郎いそくろうという男だの、角太郎が妻の雛衣ひなきぬ投身みなげせんとしたのを助けたる氷六ひょうろくだの、棄児すてごをした現八の父の糠助ぬかすけだの
豊後守といへば、江戸市中に棄児すてごがあれば、屹度拾つて養育した程の慈悲深い男だつたが、それでも時々は剽軽な悪戯いたづらをして、友達を調弄からかふ程の心の余裕ゆとりは持つてゐた。
独身ひとりみの謹直家だからもちろん実子ではあり得ない。では養子だろうというに、そうでもない。棄児すてごかといえばこれまたしからず。じゃあ何だということになると、実は何でもないのである。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それは、棄児すてごであった自分の一身を拾い取って、衣食を与えた生命いのちの恩人というだけの観念ではないのです。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
久さんが生れて間もなく、村の櫟林くぬぎばやし棄児すてごがあった。農村には人手がたからである。石山の爺さんが右の棄児を引受ひきうけて育てた。棄児は大きくなって、名を稲次郎いねじろうと云った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
温泉宿へ手伝に来た婆さんから自分は棄児すてごであって、背中の穴は其の時受けた疵である事と、長左衛門夫婦はまことの親でなく、実の親は名前は分らないが、斯々云々かく/\しか/″\の者で
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
棄児すてごの親なんぞを探す暇があったら、襦袢じゅばんの一枚も縫っていた方がいいって……お前さんだって、そうさ、お地蔵様を信心すれば、生みの親に逢えるだろうなんて
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
すぐけえって何処の人だか手掛てがゝりイ見付けようと思って客人が預けて行った荷物を開けて見ると、梅醤うめびしお曲物まげものと、油紙あぶらッかみに包んだ孩児の襁褓しめしばかりサ、そんで二人とも棄児すてごをしに来たんだと分ったので
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「俺、棄児すてごだからな、物心ものごころを知らねえうちに打棄うっちゃられただから、どこで生れたか知らねえ」
いずれは孤児であるとか、棄児すてごであるとか、そうでなければ、身たとえ名門良家に生れたにしてからが、放たれ、棄てられたと同じ月日の下に置かれた人の子が、こういうところへ送り込まれるのだ。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「拾われて……そうするというとお前さんは棄児すてごかい」
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
つまり、これは棄児すてごなのでした。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
つまり、自分は棄児すてごである。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「おや、棄児すてごか知ら」
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)