栂尾とがのお)” の例文
また源頼朝や北条泰時の帰依の厚かった一代の高僧たる、栂尾とがのお明恵みょうえ上人の如きすら、自ら「非人高弁」と名告なのっておられたくらいです。
鳴滝の上流と、清滝きよたきの水とが交叉している渓川橋たにがわばしをわたって、高雄道たかおみち八丁への途中、栂尾とがのおの山ふところに、覚猷かくゆう僧正は、時どき来ている。
栂尾とがのお明慧上人みょうえしょうにんが、北条泰時ほうじょうやすときに「あるべきようは」の七字を書き与えて、天下の政権を握るものの警策いましめとせよと、いわれたというその話と思い比べて
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
上人と見たのは栂尾とがのおの上人である。上人は茶の種を播いたばかりではなかった。上人は夢だといわれた。それは暗示である。上人は信の種、真言しんごんの種を播かれたにちがいない。
京都に着いて三日目に、高尾たかお槇尾まきのお栂尾とがのおから嵐山あらしやまの秋色を愛ずべく、一同車をつらねて上京の姉の家を出た。堀川ほりかわ西陣にしじんをぬけて、坦々たんたんたる白土の道を西へ走る。丹波から吹いて来る風が寒い。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
栂尾とがのお明恵上人みょうえしょうにん(高弁)は摧邪輪さいじゃりん三巻を記して撰択集せんじゃくしゅうを論破しようとした。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
窓の外をこがらしが吹く音をききながら寝ていると、自分が非常な高処たかみに巣をつくっているような気がしてきて妙だそうである。また樹上に坐禅を組んだという栂尾とがのお明恵上人みょうえしょうにんのことがしのばれるという。
西隣塾記 (新字新仮名) / 小山清(著)
茶は鎌倉かまくら時代の始めごろに、えらい禅宗ぜんしゅうの僧が支那から持ってかえり、九州では肥前ひぜん背振山せふりやま、それから都近くの栂尾とがのお宇治うじえたということになっているが、この説の半分はまちがっている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
栂尾とがのおの僧坊へ放火した乱暴者があったのも最近のことで、貴人の車を見ても、礼をしないなどは、もう通り相場になっている。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かの有名なる京都栂尾とがのお高山寺の大徳明恵上人高弁が、自らその著の終わりに「非人高弁」と書いているのは、けだしこの意味の非人であった。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
一方——栂尾とがのお明慧みょうえ上人が、学理の上から、法然の「選択せんじゃく本願念仏集」やその他の教理を反駁して、大きな輿論よろんを学界によび起しているので
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
余戸あまべの説明をした古文を見ますと、京都の栂尾とがのお高山寺こうざんじに伝わっていた「和名抄わみょうしょう」という書物がありまして、その中に、「班田はんでんに入らざる之を余戸あまべといふ」
叡山えいざん三千房が、こぞって迫害の手をのばそうとしている折、また、栂尾とがのお明慧みょうえ上人があのような論駁ろんばくを世上に投じている場合、ご随身の高足ともあろう人々が
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
栂尾とがのおの山も、そろそろ寒うなったので、わしも、鳥羽の庵にうつり、冬じゅうは、など描いて、こもしてあるほどに、まれには、遊びにわたられいとな。……
高雄たかお栂尾とがのお明慧みょうえ上人である。この上人は、そこらにざらにあるいわゆる碩学せきがくとは断じてちがう。満身精神の人だった。学問の深さも並ぶ者がまずあるまいという人物だ。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)