本草ほんぞう)” の例文
従って、オランダ流の医術、本草ほんぞう、物産、究理の学問に志ある者を初め、好事こうずの旗本富商のはいまでが、毎日のように押しかけていた。
蘭学事始 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
吉平はもと洛陽の人で本草ほんぞうにくわしく、つとに仁徳があって、その風采は神渺しんびょうたるものがあり、当代随一の名医といわれていた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
物理生理衛生法の初歩より地理歴史等の大略を知るは固より大切なることにして、本草ほんぞうなども婦人には面白きたしなみならん。
新女大学 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
このような本草ほんぞう学や薬物の研究が源内の学問の道への出発点となったのでしたが、源内はその後あらゆる方面の知識を修めようと志したのでした。
平賀源内 (新字新仮名) / 石原純(著)
就中なかんずく本草ほんぞうくわしいということは人が皆認めていた。阿部伊勢守正弘はこれを知らぬではない。しかしその才学のある枳園の軽佻けいちょうを忌む心がすこぶかたかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
医学と密接の関係がある本草ほんぞうの学問に於ても、そう出放題や、附焼刃ばかりで通るものではありますまい。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それだから本草ほんぞうの書物などは、気をつけておかねばならぬと、思い始めたのはまた大分だいぶ後のことである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
、実際山を歩行あるいたんだ。それ、日曜さ、昨日は——源助、お前はおのずから得ている。私は本と首引くびッぴきだが、本草ほんぞうが好物でな、知ってる通り。で、昨日ちと山を奥まで入った。
朱日記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
でっくりと小肥りで、ひどく癖のある怒り肩の塩梅あんばい。見違えようたって見違えるはずはない、鍋町と背中合せ、神田白壁町しらかべちょうの裏長屋に住んでいる一風変った本草ほんぞう、究理の大博士。
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
私はかつて東京春陽堂で発行になった『本草ほんぞう』という雑誌の創刊号にその図説を出し、そしてトウキササゲの新和名を付けて置いたが、しかしまだその生本は日本へ来た事がない。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
脚低く尾をきて潜み走るていが犬猫牛馬よりもトカゲ、ヤモリなどに近いからの事で、支那には古く『爾雅』に毛を被った点から獣としてあれど、歴代の本草ほんぞう多くこれを虫魚の部に入れた。
もっとも、瑞見はその出発が幕府奥詰おくづめの医師であり、本草ほんぞう学者であって、かならずしも西洋をのみ鼓吹こすいする人ではなかったが、後進で筆も立つ人たちが皆瑞見のような立場にあるのではない。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
玄斎は維新前駒場こまばにあった徳川幕府の薬園に務めていた本草ほんぞうの学者で、著述もあり、専門家の間には名を知られていたので、維新後しばしば出仕しゅっしを勧められたが節義を守ってこの村荘そんそうに余生を送った。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
また薬園に勤めて本草ほんぞう学に興味をもつようになったのにるとわれていますが、ともかくも生来そういう学問を好んでいたには違いなかったのでしょう。
平賀源内 (新字新仮名) / 石原純(著)
実は、こうしている間に、そこで本草ほんぞうの研究をやりてえんだよ、胆吹山で、しこたま薬草の標本を
今日の国語教育、ことに漢字制限の方針が徹底すれば、古書の大多数は無用に近くなるにきまっているが、そういう中でも打撃の最もひどいのは、本草ほんぞうの学問であろう。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
また『本草ほんぞう類篇』にもオウチ一名アテノキとあり、『山州名跡志』に引用した『八幡宮鎮座伝記』にもそうあるというから、香取郡に同じ名があっても少しも不思議でない。
アテヌキという地名 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
わずかに暦学や漢方医学や本草ほんぞう学のごときがあるに過ぎないが、それらがまったく直観的経験の上にのみ形作られ、一歩も抽象的に進まなかったのは、むしろ顕著けんちょな観を呈している。
日本文化と科学的思想 (新字新仮名) / 石原純(著)
源内が最初本草ほんぞう学を修めてそれに詳しかったことは、すでに記した通りですが、江戸に来て田村藍水に教をうけてからは一層これに熱心になり、田村藍水や松田元長などとう人たちと相謀って
平賀源内 (新字新仮名) / 石原純(著)