家斉いえなり)” の例文
旧字:家齊
その時の将軍は十一代徳川家斉いえなりであろう。奢侈しゃしを極めた子福者、子女数十人、娘を大名へさした御守殿ごしゅでんばかりもたいした数だという。
彼が政治的経歴およそ二十年、しこうしてこの二十年は、家斉いえなり将軍下半期の治世にして、文恬ぶんてん武煕ぶき、幕政の荒廃既に絶頂に達したるの日なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
独美は寛政四年に京都に出て、東洞院ひがしのとういんに住んだ。この時五十九歳であった。八年に徳川家斉いえなりされて、九年に江戸にり、駿河台するがだいに住んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのため、増長天王はしばらく江戸の上屋敷の秘庫ひこにあったが、後に将軍家斉いえなり懇望こんもうされて、江戸城本丸に移された。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大久保主計は安祥あんしょう旗本、将軍家斉いえなりのお気に入りであった。それが何かの失敗から、最近すっかり不首尾となった。そこで主計はどうがなして、昔の首尾にかえろうとした。
柳営秘録かつえ蔵 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
二月二十日は世に大御所と称せられた徳川家斉いえなり霊柩れいきゅう東叡山とうえいざんに葬送せられた当日である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
西洋ではじめてグライダーを作った独逸人ドイツじんオットー・リリエンタールの発明が一八八九年とすれば、それは日本の明治二十二年に当るから、これより先、徳川十一代の将軍家斉いえなりの寛政のはじめ
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼の出できたる、継嗣論その楔子せっしたる疑うまでもなし。当時くらいきわめ、おごりを極め、徳川の隆運を極めたる家斉いえなりの孫家定、将軍の位にり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
将軍家斉いえなりの眼に止まり、つぼねれられることになった。秋海棠が後苑に咲き、松虫が籠の中で歌う季節、七夕月のある日のこと、葵紋付の女駕籠で、お杉は千代田城へ迎えられた。
柳営秘録かつえ蔵 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
徳川家定は八月二日に、「少々御勝不被遊おんすぐれあそばされず」ということであったが、八日にはたちま薨去こうきょの公報が発せられ、家斉いえなりの孫紀伊宰相慶福よしとみが十三歳で嗣立しりつした。家定の病は虎列拉であったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
もし試みに徳川将軍家斉いえなり公全盛のときに死したる江戸の市民をば、今、墓中より呼び起こし、銀座頭街の中央に立たしめよ。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
家斉いえなり将軍のおぼし召しによって当代の名家に屏風を描かせ朝鮮王に贈ることになった。
北斎と幽霊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
将軍徳川家斉いえなりの命を伝えられた。
じいさんばあさん (新字新仮名) / 森鴎外(著)
将軍家斉いえなりは、源頼朝すら、足利尊氏すら、もしくは乃祖だいそ徳川家康すら、その例なかりし太政大臣の極爵を、生れながら軍職と共に併せ帯び、豪奢ごうしゃなく、しこうして下の上になら
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
時の将軍は家斉いえなりであったが、ひどくこの唄を気にかけた。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
お杉は家斉いえなりへこう云った。
柳営秘録かつえ蔵 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
家斉いえなり将軍と中野碩翁せきおう
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)