トップ
>
太守
>
たいしゆ
ふりがな文庫
“
太守
(
たいしゆ
)” の例文
同
(
おな
)
じ
時
(
とき
)
、
賈雍將軍
(
かようしやうぐん
)
は
蒼梧
(
さうご
)
の
人
(
ひと
)
、
豫章
(
よしやう
)
の
太守
(
たいしゆ
)
として
國
(
くに
)
の
境
(
さかひ
)
を
出
(
い
)
で、
夷賊
(
いぞく
)
の
寇
(
あだ
)
するを
討
(
たう
)
じて
戰
(
たゝかひ
)
に
勝
(
か
)
たず。
遂
(
つひ
)
に
蠻軍
(
ばんぐん
)
のために
殺
(
ころ
)
され
頭
(
かうべ
)
を
奪
(
うば
)
はる。
唐模様
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
支那
(
しな
)
全國
(
ぜんこく
)
が
道
(
だう
)
に
分
(
わか
)
れ、
道
(
だう
)
が
州
(
しう
)
又
(
また
)
は
郡
(
ぐん
)
に
分
(
わか
)
れ、それが
縣
(
けん
)
に
分
(
わか
)
れ、
縣
(
けん
)
の
下
(
した
)
に
郷
(
がう
)
があり
郷
(
がう
)
の
下
(
した
)
に
里
(
り
)
がある。
州
(
しう
)
には
刺史
(
しし
)
と
云
(
い
)
ひ、
郡
(
ぐん
)
には
太守
(
たいしゆ
)
と
云
(
い
)
ふ。
寒山拾得
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
不運
(
ふうん
)
なりとは何故ぞと仰せければ女中ども
若君
(
わかぎみ
)
には
實
(
じつ
)
は
太守
(
たいしゆ
)
光貞卿の御子にておはし候へ共四十二の
御厄年
(
おやくどし
)
の御子なりとて
御捨遊
(
おすてあそ
)
ばされしを
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
なぜかと
云
(
い
)
ふと、
閭
(
りよ
)
は
台州
(
たいしう
)
の
主簿
(
しゆぼ
)
になつてゐたと
言
(
い
)
ひ
傳
(
つた
)
へられてゐるのに、
新舊
(
しんきう
)
の
唐書
(
たうしよ
)
に
傳
(
でん
)
が
見
(
み
)
えない。
主簿
(
しゆぼ
)
と
云
(
い
)
へば、
刺史
(
しし
)
とか
太守
(
たいしゆ
)
とか
云
(
い
)
ふと
同
(
おな
)
じ
官
(
くわん
)
である。
寒山拾得
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
感じ
厚
(
あつ
)
く
禮物
(
れいもつ
)
を
贈
(
おく
)
りて夫より
路次
(
ろじ
)
を
急
(
いそ
)
ぐ程に日成ずして岡山に
着
(
ちやく
)
せしかば
即日
(
そくじつ
)
太守
(
たいしゆ
)
へ目見申付られ
花事
(
はなこと
)
は一旦出家の望み有由にて出國致せし處兄喜内が
凶變
(
きようへん
)
を聞心を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
▼ もっと見る
相續
(
さうぞく
)
致すべしと有て又忠八も
庭口
(
にはぐち
)
より召れ
太守
(
たいしゆ
)
へ目見を
免
(
ゆる
)
され其方
賤
(
いやし
)
き若黨の身にて主人を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
“太守”の解説
太守(たいしゅ)は、中国においては郡の長官のことで、単に守とも呼ばれた。尊称として「明府」または「府君」と呼ばれる。秦代に置かれた郡守を改称したもので、前漢中期から南北朝時代の隋に置かれた。唐代の後期から五代になると太守の称号は使われなくなり、のち宋朝の知府事、明朝、清朝の知府の別称として用いられた。
転じて以下のように用いられている。
(出典:Wikipedia)
太
常用漢字
小2
部首:⼤
4画
守
常用漢字
小3
部首:⼧
6画
“太守”で始まる語句
太守樣
太守面
太守牌印
太守肥前守