唾液だえき)” の例文
蝋燭ろうそくの光は彼女の顔を照らしていた。それは血まみれの微笑だった。赤い唾液だえきくちびるのはじに付いていて、口の中には暗い穴があいていた。
古いパンは水分が蒸発して鬆の中が乾燥しているから口では唾液だえきを滲入させるし腹では胃液腸液を滲入させるから消化が良い。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
彼らの唾液だえきは薬であった。暖かい舌で嘗め廻すことは、温湿布に当たっていた。鏡葉之助の体には、窩人の血汐が混っていた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
二人はその名を酒のさかなにして飲みました。その滑かな発音を、牛肉よりも一層うまい食物のように、舌で味わい、唾液だえきねぶり、そして唇に上せました。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そういうのは色素が唾液だえきで溶かされて書物の紙をよごすので、子供心にもごまかしの不正商品に対して小さな憤懣ふんまんを感じるということの入用をしたわけである。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そして口からおびただしい唾液だえきと息を洩らして、巨きな体に、あえぎの波を打たせておとなしくなっていた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
食事の用意が出来たと聞いた途端とたんに、博士はまるで条件反射の実験台の犬のように、どうと口中にでた唾液だえきを持てあましながら、なかば夢中になって隣室へ駆け込んだ。
彼の舌の先から唾液だえきを容赦なく我輩の顔面に吹きかけて話し立てる時などは滔々滾々とうとうこんこんとしておしい時間を遠慮なく人につぶさせてごうも気の毒だと思わぬくらいの善人かつ雄弁家である。
倫敦消息 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
樹脂ヤニ色の唾液だえき。象形文字のような骨格。闇色の肉体の隙間。撒水孔さんすいこうのような耳環のあと。円形の乳房のある地理。上海が彼女の舞台なら、そのコスチュームはノラの薄鼠色の皮膚だ。
新種族ノラ (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
舌が焼けるように感じたが、それが誘い水になって、少しばかり唾液だえきいた。
月と手袋 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
お絹は唾液だえきがにじんだくちびるの角を手の甲でちょっと押えてこういった。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「もう唾液だえきがなくなったのでしょう」
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
ポンメルシーはついに、こういう言葉を許していただきたいが、皇帝と同じ唾液だえきを口の中に持つに至ったのである。
第一、人間の口中には、唾液だえきというものがあって、熱い、冷たい、い、辛い、というような刺激は程よく飽和するが、針の先を、痛くないように含んでいることはできまい
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生理学上で食物を消化するのは五つのえきだ。第一が唾液だえき、第二が胃液、第三が膵液すいえき、第四が胆汁たんじゅう、第五が腸液さ。そのうちで唾液と膵液と腸液の三種が米や麦のような澱粉質を消化する。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
ただ、涙の交じった痛ましい唾液だえきとともに出て来る単語のうちに、次のような言葉がようやく聞き取られた。
何か言いかけようとしましたが、口に唾液だえきがわいて、物を言うのもだるい気がしました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唾液だえき、胃液、腸液、膵液すいえき胆汁たんじゅう、粘液その他必要の液をことごとく供給し、一つ体中諸機関の消耗しょうもうを補いて肉ともなり、皮ともなり、毛ともなり、骨ともなりて常に人体の要部を補給するなり。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
突然、片手をつくと、草の中へ牛みたいに唾液だえきを吐いた。西瓜は膝から転がり出している。それを取ろうとする気力もないし、食べようという気で買ったわけでもないらしいのだ。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼女が気がついてみた時には、このあき屋敷の縁がわにあげられていて、板の間の冷たさに身ぶるいをすると共に、口の唾液だえきに丹薬のにおいが胸までひろがって、清々すがすがとしたそうです。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孫兵衛は胃のからこみ上げる苦い唾液だえきをふくんで、ムックリと首をもたげた。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかも耳は鳴り、唾液だえきかわき、口中にいばらむようなお心地はあらせられぬか
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忠顕の発音も、しばしは口の唾液だえきを待つようなかわきにカスれがちである。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)