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ふりがな文庫
“
吉川
(
きっかわ
)” の例文
小早川
隆景
(
たかかげ
)
と
吉川
(
きっかわ
)
元長が、秀吉の案内で天守に上った時の感想には、「大天守は八重にて候、
不
レ
及
二
言語
一
げんごにおよばず
候」
大阪夏之陣
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
で、師直は、一部の兵力を八幡にとどめて、一子
師冬
(
もろふゆ
)
、武田、島津、
吉川
(
きっかわ
)
、田口、岡本などの諸部隊をひきい、自身、天王寺へ駈け向った。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「着替えをするから
吉川
(
きっかわ
)
を呼んでくれ」と云って彼は妻を見た、「おまえはどうしてここにいるんだ」
醜聞
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
また今日は毛利家の親族となっておらるる
吉川
(
きっかわ
)
家は、元駿州の
庵原
(
いはら
)
郡の住人で、
梶原景時
(
かじわらかげとき
)
が鎌倉を逃げて西に走る時に、狐ヶ崎でこれを攻め殺した
吉香
(
きっこう
)
の小次郎はその祖先である
名字の話
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
曼公が
周防国
(
すおうのくに
)
岩国
(
いわくに
)
に足を留めていた時、池田
嵩山
(
すうざん
)
というものが治痘の法を受けた。嵩山は
吉川
(
きっかわ
)
家の医官で、名を
正直
(
せいちょく
)
という。
先祖
(
せんそ
)
は
蒲冠者
(
かばのかんじゃ
)
範頼
(
のりより
)
から出て、
世々
(
よよ
)
出雲
(
いずも
)
におり、
生田
(
いくた
)
氏を称した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
開城には、小早川
隆景
(
たかかげ
)
、
吉川
(
きっかわ
)
広家、毛利元康以下二万の勢。其他占領した各処には、部将それぞれ守備を厳重にして居たのである。
碧蹄館の戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
と、その鹿之介は、即日、城を開いて、
吉川
(
きっかわ
)
元春の陣所へ出向き、雑兵同様、意気地のない
降人
(
こうじん
)
として名乗り出たのであった。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
吉川
(
きっかわ
)
だな」主計は若侍を見て云い、娘を見て
吃驚
(
びっくり
)
したように云った、——「紺野、かず子さん」
失蝶記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
それは、毛利方の
吉川
(
きっかわ
)
元春、
小早川
(
こばやかわ
)
隆景の四万の兵が、援軍として、すぐ対岸の山岳までもう来て対陣しているからである。
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
其の謀略を用いる点に於ては家康よりはずっと
辛辣
(
しんらつ
)
である。厳島合戦の時、
恰度
(
ちょうど
)
五十二歳の分別盛りである。長子隆元三十二歳、次子
吉川
(
きっかわ
)
元春二十三歳、三子隆景二十二歳。
厳島合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
長良川の一水をへだてた
日差山
(
ひざしやま
)
その他には、毛利の
吉川
(
きっかわ
)
、
小早川
(
こばやかわ
)
軍の三万余が近々と孤城の
援
(
たす
)
けに来ているのである。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
味方金吾中納言秀秋の一万五千と、
吉川
(
きっかわ
)
広家の手勢が、これを合図に、山を下りて、敵の背後をつく約束であった。
大谷刑部
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかるに、すでに半年以上も経つが、毛利輝元以下、
吉川
(
きっかわ
)
、
小早川
(
こばやかわ
)
の大軍が、兵船をつらねて来るというその第二戦線は、いっこう何処にも実現されない。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まず中国の秀吉は
吉川
(
きっかわ
)
、
小早川
(
こばやかわ
)
の大軍と、いまや四つに組んだかたちで、高松の城に釘づけとなっている。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
はやくも京都から直義の指揮下に、
高
(
こう
)
ノ
師冬
(
もろふゆ
)
、
吉川
(
きっかわ
)
経久、佐々木道誉、おなじく秀綱、土岐
頼遠
(
よりとお
)
、細川頼春などが、数万の兵力を幾手にもわけて、待っていたのだ。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかも京の大変が、
吉川
(
きっかわ
)
、小早川の陣へ、ちらとでも聞えたが最後、山つなみの押すように、毛利方は勢いを得て、こちらの浮足を
衝
(
つ
)
いて来ることも、目に見えている。
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わけて、
吉川
(
きっかわ
)
藩お客分片山
伯耆守
(
ほうきのかみ
)
久安様など、御門下衆を大勢連れ、小倉表まで立たれるそうな
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一縷
(
いちる
)
のその望みとは、
吉川
(
きっかわ
)
元春に近づいて、元春と刺し
交
(
ちが
)
えることだった。尼子氏の積年の敵。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「あれから後、今夕にでも、小早川殿か
吉川
(
きっかわ
)
殿に、御内意なりと
質
(
ただ
)
されてみられたかの」
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ぼくは
吉川
(
よしかわ
)
だが、ぼくが育った横浜では、
吉川
(
きっかわ
)
と呼ぶ人の方が多かった。だから子供の頃は、
吉川
(
きっかわ
)
だと思っていた。どっちが本当かを父にただしたらやはり
吉川
(
きっかわ
)
が昔からの姓だといった。
忘れ残りの記:――四半自叙伝――
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「岩国の
吉川
(
きっかわ
)
広家公は
英邁
(
えいまい
)
の聞えが高い。そちの父祖も、吉川家に随身の者か」
宮本武蔵:07 二天の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(今に、毛利の水軍が、
海路
(
うなじ
)
を
舳艫
(
じくろ
)
相銜
(
あいふく
)
んで東上してくる。また陸からは、
吉川
(
きっかわ
)
、小早川の精鋭が播州を
席巻
(
せっけん
)
し、秀吉をやぶり、諸豪を
麾下
(
きか
)
に加えて、怒濤のごとく中央へ攻めてくる!)
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
容易には出て来ない毛利軍が
輝元
(
てるもと
)
を始め、
吉川
(
きっかわ
)
、
小早川
(
こばやかわ
)
、その他の宿老まで、大兵を挙げて、一
上月城
(
こうづきじょう
)
や三木城の
後詰
(
うしろまき
)
に上って来たことは、これこそ天の与え給う絶対な機会ではござりませぬか。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
吉
常用漢字
中学
部首:⼝
6画
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
“吉川”で始まる語句
吉川元春
吉川先生
吉川家
吉川屋
吉川町
吉川監物
吉川経家
吉川経言
吉川鎌子
吉川静江