六朝りくちょう)” の例文
遠くは六朝りくちょう時代より近くは前清ぜんしんに至るまでの有名な小説や筆記の類にって、時代をって順々に話していただくことに致しました。
六朝りくちょう時代の技巧を考慮せず、ただ製作家の心理を忖度そんたくしてこの観音の印象を裏づけようとするごときは、無謀な試みに相違ない。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
逆にいえば怪異の美を生み得る時代のみが、真に力のあった時代だともいえるのです。漢や六朝りくちょうはそういう偉大な力を彫刻で示しました。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
たとえば、鍍金仏ときんぶつなどを専門家が一眼見て、これは六朝りくちょうだとか、もう少しふるいとかいうようなことをいうのは、皆この型式を見るわけである。
そのすぐ向うからもう長々とした石段の入り口になって、そこには不許葷酒入山門くんしゅさんもんにいるをゆるさず六朝りくちょう風な字で彫った古いこけむした自然石が倒れ掛かっていた。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
更に右の二通を選び出した目安というものが、支那の本場もよろしいが、秦漢しんかんだとか、六朝りくちょうだとか、稚拙だか豪巧だか知らないが、あれはちょっと近寄れない。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
足利あしかが時代は総たるみにて俳句の天保時代と相似たり。漢詩にてはかん六朝りくちょうは万葉時代と同じくたるみても善し。唐時代はたるみも少くまたたるみても悪しからず。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
また白馬は白く、あるいは堅きがゆえにその実在いかんを疑った実在論者(二一)や、禅門のごとく清浄、絶対について談論した六朝りくちょうの清談家も無視することはできぬ。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
やれ六朝りくちょうだ、何々法帖ほうじょうだ、唐だ宋だ明だと、その選択に騒ぐかと思えば、犬養元総理のように、書自慢でありながら、その新しい中国風を狙う書家もあり、近衛さんのように
コレアルハ六朝りくちょうヨリ始ル。然レドモ唐宋大賢ノ文ヲルニ直ニ胸臆きょうおくヲ抒シ通暢つうちょう明白ニシテ切ニ事理ニ当ル。ノ彫虫篆刻てんこくスル者トハ背馳はいちセリ。名ハ集ナリトイヘドモ実ハ子ナリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
六朝りくちょうの石仏の一つは、うつとりとねむたさうな微笑を浮べてゐた。ガンダーラの小さな石の首からは、ギリシャの海の音が聞えた。そうの青銅仏は概して俗だが、木彫りには、いゝものがあつた。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
唯今御主人から御説明がありました通り、今晩のお話は六朝りくちょう時代から始める筈で、わたくしがその前講ぜんこうを受持つことになりました。
インドにおけるガンダアラ様式や中インド様式と、その影響の下になれる六朝りくちょう様式とは同じものでない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
各時代の歴史はそれぞれの偉大な王侯や、英雄を有ち、また重く強い民衆をひかえているのであります。しゅうしんや漢や六朝りくちょう、つづいてとうそうげんみんしんの各時代は、それぞれ巨大な歴史を有って居ります。
北支の民芸(放送講演) (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
りょう六朝りくちょう)の大同だいどうの末年、平南将軍藺欽りんきんをつかわして南方を征討せしめた。その軍は桂林けいりんに至って、李師古りしこ陳徹ちんてつを撃破した。
この建築が朝鮮から伝わった様式で、六朝りくちょう時代のシナ建築をわれわれに示すものであるとすれば、この建築の上に実にさまざまの空想が建てられなくてはならないのです。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
絵画でも彫刻でもかかる意味で美術というよりは工藝であった。それは単独な存在ではなく建築の一部でさえあった。同じようにあの優秀な六朝りくちょう推古すいこの仏教藝術はむしろ工藝と呼ぶべきではないか。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
六朝りくちょう、初唐、盛唐は一つの新しい文化の迅速な成生を意味する。同時に、目まぐるしい変遷と興廃を意味する。風俗は混乱し推移した。漢式の鋭い鉄線は豊かに柔らかい唐式の線に変わった。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
藝術の面では南画の空白美の如き、書道の自在美、抽象美の如き、欧米において既に著しい影響が見られるのである。漢、六朝りくちょうの彫刻の如き、今後ますますそこに東洋美の深さが見直されるであろう。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)