“せいけい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
生計21.1%
成卿15.8%
西経10.5%
世系5.3%
世馨5.3%
政刑5.3%
政継5.3%
晴景5.3%
正経5.3%
精系5.3%
聖経5.3%
西渓5.3%
青熒5.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
これと婚姻を通ずるも後日ごじつ生計せいけいの見込なしとて、一概に擯斥ひんせきする者あり。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
弘前ではこれより先藩学稽古館けいこかんに蘭学堂を設けて、官医と町医との子弟を教育していた。これを主宰していたのは江戸の杉田成卿せいけいの門人佐々木元俊げんしゅんである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
西経せいけい七十四度三十分のところに一島あるが、これはハノーバル島といわれている。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
品にさきだつて綱宗に仕へた初子は、其世系せいけいが立派である。六孫王経基つねもとの四子陸奥守満快むつのかみまんくわいの八世の孫飯島三郎広忠ひろたゞ出雲いづもの三沢を領して、其曾孫が三沢六郎為長ためなが名告なのつた。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
遠祖が紀長谷雄きのはせをであつたと云ふので、紀氏、名は徳民、字は世馨せいけい、号は平洲とした。後に一種の性行を養ひ得て、所謂いはゆる「廟堂之器」となつたのが此人である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
〔評〕慶應けいおう三年九月、山内容堂ようだう公は寺村左膳さぜん、後藤しやう次郎を以て使となし、書を幕府にていす。曰ふ、中古以くわん政刑せいけい武門に出づ。
渋江氏の祖先は下野しもつけ大田原おおたわら家の臣であった。抽斎六世の祖を小左衛門こざえもん辰勝しんしょうという。大田原政継せいけい政増せいそうの二代に仕えて、正徳しょうとく元年七月二日に歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
網舫まうばうの詩は七絶、蝶と晴景せいけいとは七律である。別に秋の詩の間に「詠史」七絶二がある。一は仁徳帝、一は漢の張良である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
妻は内にあって家政を整理するということは正経せいけいであって、働くに内外の別こそあれ、一家のために働くという趣旨に至っては同一であるから
夫婦共稼ぎと女子の学問 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
人々、さまざまに計らいて精系せいけいを糸にて結びたるときは、命の限りとばかりにて、腹の中の物を差入れらるる心地ぞせられける。ほどなく切捨てたるにや、その心地もなおりぬ。
玉取物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
凡ての批評眼をくじり去りて後に聖経せいけいかむとするは、むかし羅馬教の積弊たりしものを受けて今日の浅薄なる聖経の読者が為すところなり、心を以て基礎とし、心を以て明鏡とし
各人心宮内の秘宮 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
わづかに読み得らるゝ所に従へば、水杵は中国の方言にそうづからうすと云ふ、西渓せいけい叢語の泉舂せんしようの類だと云ふのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
三階の部屋から、丘の松、小山田の早苗さなえの風、嶺越しの青熒せいけいの麦野が眺められます。こゝはまた、それだけのもので、やはり所在なくて、宵寝をします。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)