館山たてやま)” の例文
二十三日まで湊をささえていた筑波勢は、館山たてやまっていた味方の軍勢と合流し、一筋の血路を西に求めるために囲みを突いて出た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
布良めらから竹原村に来った時には「板橋の霜色沙よりも白く」、館山たてやまでは冬もようやく寒くなり、その年もいつか残り少くなっていた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
シナノ? すると、あの六万何千トンかあったやつかね。太平洋戦争中に竣工しゅんこうして、館山たてやまを出て東京湾口わんこうから外に出たと思ったら、すぐ魚雷ぎょらい攻撃を
海底都市 (新字新仮名) / 海野十三(著)
まだ船にとどまって、館山たてやままで行かねばならぬ駒井甚三郎は、保田の浜辺を悠々ゆうゆうと歩み行く田山白雲の姿を見て、一種奇異の感に堪えられませんでした。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
昔し房州ぼうしゅう館山たてやまから向うへ突き抜けて、上総かずさから銚子ちょうしまで浜伝いに歩行あるいた事がある。その時ある晩、ある所へ宿とまった。ある所と云うよりほかに言いようがない。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夷灊いしみ館山たてやま素藤もとふじの居城)というは今も同じ地名の布施村や国府台こうのだいに近接する立山たてやまであろう。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
その庄兵衛が夫婦と中間ちゅうげんとの三人づれで館山たてやまの城下の延命寺へ参詣に行った。延命寺は里見家の菩提寺である。その帰り路に、夫婦は路傍にうずくまっている一人の少女をみた。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「なんでも館山たてやまの二十軒にしるべの農家があるそうで、老母をそこへ預け、自分はすぐに退国するというはなしだ、……いまにして思えば、不縁になったのは不幸中の幸いだったな」
日本婦道記:不断草 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「まア——そんなむづかしいものが、私に讀めるわけはありません。皆んなくなつた母親の形見です。母親は館山たてやまの殿樣の御殿に上つて、長い間御奉公したことがあるんですもの」
しかるに役場の報告の控えを見ると、ただ館山たてやまと五輪峠とだけが注意せられている。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
館山たてやま唐桟とうざんわざがわずかに残っていたり、銚子に大漁着たいりょうぎの染めが見られたりはしますが、取り残された姿ともいえましょう。値打ねうちのあるものでありながら流行に押されてしまいました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
南はあたたかに、北は寒く、一条路ひとすじみちにも蔭日向かげひなたで、房州も西向にしむきの、館山たてやま北条とは事かわり、その裏側なる前原、鴨川かもがわ、古川、白子しらこ忽戸ごっとなど、就中なかんずく船幽霊ふなゆうれいの千倉が沖、江見和田などの海岸は
海異記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
稲右衛門の率いる筑波勢の残党は湊の戦地から退いて、ほど近き館山たてやまる耕雲斎の一隊に合流し、共に西に走るのほかはなかったのである。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「はい、木更津から那古なこの観音様へ参詣を致し、ことによったら館山たてやままで参ろうと思うんでございます」
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「まア——そんなむずかしいものが、私に読めるわけはありません。みんな亡くなった母親の形見です。母親は館山たてやまの殿様の御殿に上がって、長いあいだ奉公したことがあるんですもの」
星巌夫妻は東金を発して勝浦を過ぎ房州の沿岸を廻って洲ノ崎、館山たてやまを経て富津ふっつに来り、木更津きさらづより水路を行徳に還った。行徳より更に舟をやとい江戸鉄砲洲に向ったのは七月の某日であった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかし耕雲斎にして見ると、一橋公の先鋒せんぽうを承る金沢藩を敵として戦うことはその本志でなかった。筑波つくば組の田丸、藤田らと、館山たてやまから合流した武田との立場の相違はそこにもあらわれている。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)