ひも)” の例文
『決して後の事心配しなさるでねえよ。私何様どんな思いをしても、阿母や此児にひもじい目を見せる事でねえから、安心して行きなさるが可えよ。』
昇降場 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
厄介な仕事の渦中に飛び込むと、眠さもひもじさも忘れて飛び廻る八五郎は、錢形平次に取つては、なくてはならぬ『見る目、嗅ぐ鼻』だつたのです。
けれども夜中になると、何んとしても我慢ができないほどひもじくなってきた。そっと女中部屋を出て、手さぐりで冷えきった台所に行って、戸棚を開けた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
四半桶のまぐさと、ひと握りのぬかしか食べていない、このひもじい馬にとって、それはまあ、なんという素晴らしい御馳走なのであろう! そしてまた、老人にとっても
キャラコさん:10 馬と老人 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
もっともこれはだいぶひもじい時であったから、少しは差引いて勘定をたてるのが至当だが、けっして空腹のためばかりとは思えない。どうも矛盾——また矛盾が出たからそう。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「別に変った生活もしませんが、私達は日の出前に起床し、日が暮れて床に就き、明るいうちはせっせと働いて日を送っています。又ひもじい時はお腹を一パイにするだけ御飯を食べます」
働く町 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
坊様も嬢様も無類の犬煩悩で入らつしやるから、爰の邸へ引取られてからは俺も飛んだ幸福者しあはせもので、今年で八年、つひに一度ひもじい目どころか、りやう四升しゝようの鬼の牙のやうなお米を頂戴してゐた。
犬物語 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
突いて立っておれ! 少しはひもじい目を見るがよかろう!
……ひもじくばまだしもよ、栄耀えようぐいの味醂蒸みりんむしじゃ。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
小供はひもじさを訴え乍らもふとっていった
アンチの闘士 (新字新仮名) / 今村恒夫(著)
婆さんはまた驚いて出て来る。そうしてまた例のごとくヒヤ、サーとたしなめて帰って行くと、先生は婆さんの一拶いっさつにはまるで頓着とんじゃくなく、ひもじそうに本を開けて、うんここにある。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もとより簡素な食事で、大名の倅の忠弘から見れば、これで人間が生きて行くのが不思議な位ですが、ひもじい時の何んとやらで、沢庵たくあんの尻尾も照り田作ごまめも、時に取っての珍味でないものはありません。
自分が空腹になって、長蔵さんに芋をねだったのは、つい、今しがたで、ひもじい記憶は気の毒なほど近くにあるのに、この小僧の食い方は、自分より二三層倍ひもじそうに見えたからである。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
かつはしだいにんだ。そうして渇よりも恐ろしいひもじさが腹の中を荒して歩くようになった。余は寝ながら美くしい食膳しょくぜん何通なんとおりとなく想像でこしらえて、それを眼の前に並べて楽んでいた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)