長篠ながしの)” の例文
姉川、長篠ながしのの戦いなどの時からみると、こんどの甲州討入りは、まるでわが畑の物でも採りに行くような信長の落着きぶりであった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それも決してありえざることではない。参河みかわ長篠ながしの地方でおとらという狐にかれた者は、きっと信玄や山本勘助の話をする。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この書は、それ自身の標榜するところによると、武田信玄たけだしんげんの老臣高坂弾正信昌こうさかだんじょうのぶまさが、勝頼かつより長篠ながしの敗戦のあとで、若い主人のために書き綴ったということになっている。
それが、翌年長篠ながしのに於て、無謀の戦いをする自負心となったのであろう。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その武田も長篠ながしのの一敗に屏息へいそくし、西国の毛利も、このところ一戦一退のみをつづけ、加うるに元就もとなり以来の保守主義もあるので、果たして
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三河みかわ長篠ながしののおとら狐に至っては、近世その暴虐ことに甚だしく住民はことごとく切歯扼腕せっしやくわんしているのだが、人にくときは必ず鳶巣城とびのすじょうの故事を談じ、なお進んでは山本勘助の智謀
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この前、長篠ながしのの役後、すぐ上洛して、天機を奉伺ほうししたように、この秋も、越前経略の事が終ると、すぐ上洛の途についていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真赤な胸の毛が水に映って、近づいて飲もうとすると水が火に見えるという(『旅と伝説』二巻一号)。それから下流の長篠ながしの附近でも、この鳥前生にしゅうとめを虐待して、そのむくいを以て鳥に生れた。
長篠ながしのまでは出馬したが、富士の神容しんようには接していなかったし、参州吉良さんしゅうきらまで鷹狩たかがりに出向いたこともあるが、ついぞ富嶽ふがく秀麗しゅうれいは仰いでいない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三河の長篠ながしのの古戦場に近い村にも、水恋鳥は前の生は女で、馬に水をることを怠ったからという話があるが(『三州横山話』)、人によってはまたしゅうとめ虐待ぎゃくたいした悪い嫁であったともいっており
だが、ひとたび長篠ながしのへ出て、織田、徳川両軍の迎撃げいげきに惨敗を喫してからは、衰退とみに甲山の旗幟に濃く、さしもの士馬精鋭もその面影を失いつつあった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(三州横山話。愛知県南設楽みなみしだら長篠ながしの村横川)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「はい、兄の昌輝まさてるは、天正三年、長篠ながしのの合戦に、武田勝頼様について出陣し、徳川勢に当って戦死いたしました」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
イタンドリ 三河長篠ながしの
豊川とよかわの上流——大野川との合流点——三州南設楽みなみしだら郡の山地にって、長篠ながしのの城は、西南に向ってそびえている。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば、長篠ながしのの一戦を考えてみただけでも、猛虎のまえの一片のでしかなかったのではないかと思われる。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて遠く、長篠ながしのの城が彼方かなたに見えた。五百の戦友がたてこもっている城。——その白壁を微かに見たとき、彼は思わず双手もろてをあげたい程、心の奥で叫んだ。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことし天正三年のつい先月、五月の初めには、信長は岐阜ぎふを出て、徳川家康とともに、甲山の精鋭武田勝頼かつよりの大軍を長篠ながしのに破って、もう岐阜へ凱旋がいせんしていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長篠ながしのつやいな、次は、越前へ出兵だとは、ほとんど、公然のような岐阜の空気であった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、これは、長篠ながしのの合戦の後に、信長様から拝領した思い出ふかい陣羽織で……」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
姉川あねがわだって、長篠ながしのだって、こっちの大勝ちはあたりめえなことさ。おれたちの御大将おんたいしょうはべつもんだが、はばかりながらおれたちのったものには、槍一本、やじりひとつにも気が入っているんだ。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが、運わるく、長篠ながしのの合戦のおりに、父の右兵衛うへえがとらわれたので、わたくしも、心ならず徳川家にくだっていましたが、ささいなあやまちから、父は斬罪ざんざいになってしまったのです。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長篠ながしの、天目山などの後、わがに投じて、召しつかわれおる元武田の甲州出のさむらいどもの籍を調べ、それらの者どもよりも、信玄の軍法を聞き取って、改革の案に、参考といたすがよい」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは、武田信玄たけだしんげんがよく用いた甲州流兵学の特徴であったが、長篠ながしの合戦かっせんののち、徳川家には多くの武田の遺臣が身をよせていたので、家康の戦術には、以来、いちじるしく信玄風が加味されていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三州長篠ながしのの煙火陣へ押出す前に決行する。
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)