西郷隆盛さいごうたかもり)” の例文
よもやつまいと言われた西郷隆盛さいごうたかもりのような人までがたって、一万五千人からの血気にはやる子弟と運命を共にするようになった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
西郷隆盛さいごうたかもりのそばにいると心地ここちよくおう身体からだから後光ごこうでも出ているように人は感じ、おうは近づくとえりを正さねばならぬほど威厳いげんがあった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
西郷隆盛さいごうたかもりはシェパードと二メートルほどへだたったところまでいくとぴたっととまって、シェパードとにらみあっていました。
決闘 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
これは帰朝の途上わたくしが土耳古トルコの国旗に敬礼をしたり、西郷隆盛さいごうたかもりの銅像を称美しなかった事などに起因したのであろう。
正宗谷崎両氏の批評に答う (新字新仮名) / 永井荷風(著)
西郷隆盛さいごうたかもりは、江戸人が恩人として尊敬し、愛していた大人物だった。その人の最後を知ろうとするものが殺到したのだから、大入りだったわけだ。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
そうして宋太郎そうたろうは、のちに西南せいなんえき西郷隆盛さいごうたかもり部下ぶかとなり、城山しろやまんだのですが、朝吹あさぶき慶応義塾けいおうぎじゅくをさかんにするうえで、なくてはならぬひとになりました。
乙亥の年に西郷隆盛さいごうたかもりが何かしたという史実の記録があれば、それは確実に明治八年の出来事であって、昭和十年でもなくまた文化十二年でもないことが明白である。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
と唱うる薩南さつなんの健児たちは、神とも信頼している西郷隆盛さいごうたかもりを擁し、桐野きりの・別府・篠原しのはらなどの郷党の諸将に引率されて、総勢三千四百人を、二大砲隊十六小隊に組織し
日本名婦伝:谷干城夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかも賤妓せんぎ冶郎やろうが手をつて一唱三歎いっしょうさんたんする者はこの都々逸なり。いやしくも詩を作る者は雲井竜雄くもいたつお西郷隆盛さいごうたかもりらの詩を以て、浅薄露骨以て詩と称するに足らずとなす。
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
西郷隆盛さいごうたかもりなどが維新の志士として東三本樹ひがしさんぼんぎあたりの妓楼ぎろうで盛んに遊んでいたころ舞妓まいこに出ていて、隆盛が碁盤の上に立たして、片手でぐっと差し上げたことなどあった。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
やがて、明治十年に西郷隆盛さいごうたかもりのおこした大乱をもって終りをつげた。
中山忠能なかやまただよし正親町實愛おおぎまちさねなる徳大寺實則とくだいじさねのり岩倉具視いわくらともみ徳川慶勝とくがわよしかつ松平慶永まつだいらよしかげ島津義久しまづよしひさ山内容堂やまのうちようどう西郷隆盛さいごうたかもり大久保利通おおくぼとしみち後藤象二郎ごとうしょうじろう福岡孝悌ふくおかこうてい、これらの人々が参会した。十二月八日のことであった。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
もっとものちになって聞けば、これは「本間さんの西郷隆盛さいごうたかもり
西郷隆盛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
西郷隆盛さいごうたかもりですか?」
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
西郷隆盛さいごうたかもり」ってあの大英雄だいえいゆうのことでしょうか? そうではありません。それは次郎じろうくんの作文を読めばわかります。
決闘 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
場合によっては武力に訴えても朝鮮問題を解決しようとする西郷隆盛さいごうたかもりら、欧米の大に屈して朝鮮の小をとうとするのは何事ぞとする岩倉大使および大久保利通おおくぼとしみちらの帰朝者仲間
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
有栖川宮熾仁ありすがわのみやたるひと親王を征東大総督せいとうだいそうとくに仰ぎまつり、西郷隆盛さいごうたかもり参謀、薩長以下二十一藩、雲霞うんかの如き大軍は東海東山とうかいとうざん、北陸から、堂々として進出した。そうして三月十五日を以て、江戸総攻撃と決定された。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そんなのにかかっては西郷隆盛さいごうたかもりだってかなわないでしょう。しかしそんな大犬はそうざらにあるもんじゃないから……
決闘 (新字新仮名) / 新美南吉(著)