芬々ふんぷん)” の例文
「捨てておけ。戦場で鍛えた体、夜露でくさめをするような気遣いはない。この暗い風の中には、菜の花のにおいが芬々ふんぷんとする——其方そちたちにもにおうか」
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さてこそ、ふたりの中間に、山吹色——というといささか高尚だが、佐渡の土を人間の欲念で固めた黄金が五十枚、銅臭芬々ふんぷんとして耳をそろえているわけ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そればかりでなく、腹を裂き、肉を切るに従って、芬々ふんぷんたる山椒の芳香が、厨房からまたたく間に家中にひろがり、家全体が山椒の芳香につつまれてしまった。
山椒魚 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
それも、枕もとの素焼の瓶がなかつたら、まだ幾分でも、我慢がし易かつたのに違ひない。所が、瓶の口からは、芬々ふんぷんたる酒香が、間断なく、劉の鼻を襲つて来る。
酒虫 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そしてなほ常に体臭芬々ふんぷんたる絶えざる退屈を漂はすのだ。恰もどす黒い生肉のやうな陰惨な臭気を放つ退屈を。野々宮は絶望のために喪失しさうな憎悪にかられた。
服装なりは汚い、それも泥だらけで芬々ふんぷんたる臭気だ。が、顔は、印度アールヤン族の正系ともいう、どう見ても、サンブルプールあたりからのダイヤモンド鉱夫ではない。
一週一夜物語 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
をどりの下地があるらしい身のこなしは輕快ですが、身體を動かす毎にき散らしたらしいなまめかしい體臭と、激しい掛け香の匂ひが、芬々ふんぷんとして隱しやうはありません。
あでやかさ、高雅さが装飾的で、初期の漱石の匂いと臭気が芬々ふんぷんである。さて、その元となっている物語と、同じ時代のウェイルズの伝説の文章とは実にちがって面白いのです。
その上にこれらの餓死し行き倒れた人々のしかばねを取かたづけ様とするものがないので、日が経つにつれてだんだんと屍は腐って行って、型が崩れ、悪臭は芬々ふんぷんとして街中に溢れていたのである。
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
「おや、忘れていた、もう煮詰ったようだ。」とふたを取れば、煎薬の香芬々ふんぷん。すぐに下して、「お前ねえ。」と女の児を見返れば、しきりに毬をもてあそべり。美人は微笑えみを含みて、「つけますかい。」
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼等は永遠に稚気芬々ふんぷんたる子供であるから、いつも詩的精神の中に於ける、最も低級のもの、最も愚劣のものをよろこぶのである。しかもいかなる場合に於ても、民衆が悦ぶものは詩的精神である。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
鶴巻町の新開町を過れば、夕陽せきようペンキ塗の看板に反映し洋食の臭気芬々ふんぷんたり。神楽坂かぐらざかを下り麹町こうじまちを過ぎ家に帰れば日全くくらし。燈をかかげて食後たわむれにこの記をつくる。時に大正十三年甲子かっし四月二十日也。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
半分は餓鬼共の遊び場であり、半分は塵芥棄場でもあるところの異臭芬々ふんぷんたる広場へでると、あたかも青空の広さをめがけて突き走るもののやうに熱い涙がこみあげてきたのであつた。
老嫗面 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
父がそんな嫌味を云って母を泣きもだえさせたり、無茶な暴言の限りを浴びせて、酒気芬々ふんぷんとしているのを見ると、ぼくは自分も狂気しそうになり、幾たびか父を撲りかけたくなった。
蒼白く整つた顏からは、芬々ふんぷんとして妖氣が立昇るやうな氣がするのです。
その狂信的な頑迷固陋がんめいころうさの故に純粋と見、高貴、非俗なるものと自ら潜思せんししているだけのこと、わが身の程に思い至らず、自ら高しとするだけ悪臭芬々ふんぷんたる俗物と申さねばならぬ。
蒼白く整った顔からは、芬々ふんぷんとして妖気ようき立昇たちのぼるような気がするのです。
一酔をもとめてのちは、肩をもませて、やがて大蘿蔔頭だいらふとう(だいこん)の煮ゆるが如く眠りに落ちた。ことごとく、団九郎の意外であつた。一言一動俗臭芬々ふんぷんとして、甚だ正視に堪へなかつた。
閑山 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
一酔をもとめてのちは、肩をもませて、やがて大蘿蔔頭だいらふとう(だいこん)の煮ゆるが如く眠りに落ちた。ことごとく、団九郎の意外であった。一言一動俗臭芬々ふんぷんとして、はなはだ正視に堪えなかった。
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
二十数貫の巨躯ではあるが皮がたるんで生気がなく、全身腐肉のやうでもあり、腐肉の隙間にその混濁した異臭芬々ふんぷんたる漿液を貯えてゐるやうにも見えた。よそ目にももはや旅行は無理だつた。
自ら高しとするだけ悪臭芬々ふんぷんたる俗物と申さねばならぬ。
大阪の反逆 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)