美濃国みののくに)” の例文
旧字:美濃國
慶長けいちょう五年九月十五日、東西二十万の大軍、美濃国みののくに不破郡ふわぐんせきはらに対陣した。ここまでは、どの歴史の本にも、書いてある。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
当村に鷲津氏なる人あり。もと美濃国みののくにの太守土岐とき美濃守頼芸よりよしの末葉なり。天文てんぶん十一年斎藤氏に侵されこの地に来りちっす。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
十兵衛にも、故郷にのこしてある母があった。郷里、美濃国みののくに恵那郷えなごう明智あけちしょう明智城あけちじょうにひとりの老母が待っている。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔、美濃国みののくに、小川のいちに力強き女があった。身体からだも人並はずれて大きく百人力といわれていた。仇名あだな美濃狐みのぎつねといった。四代目の先祖が、狐と結婚したとうことであった。
大力物語 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
左様さ先年美濃国みののくにから信州の福島在の知己しるべの所へ参った時の事で、此の知己はなりの身代で、山も持っている者で、其処そこしばらく厄介になっていた、其の村に蓮光寺れんこうじという寺がある
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
飛騨国ひだのくにでは高山に二日、美濃国みののくにでは金山かなやまに一日いて、木曽路きそじを太田に出た。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
美濃国みののくにといえば、誰もすぐ「美濃紙みのがみ」を想い起すでありましょう。武儀むぎ郡の下牧しもまきから洞戸ほらどに至る板取いたどり川の川辺に、数限りなく和紙をく村々を見ることが出来ます。材料は主にこうぞであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
応仁二年将軍の近臣斎藤妙椿みょうちんが、乱の紛れに東氏の先祖が拝領した美濃国みののくに山田荘を横領したので、常縁はすこぶる悲しんで一首の歌を詠じたのが妙椿に伝わり、同情を得て取り返すことができた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
美濃国みののくにの百姓の女房大蛇おろちになる事
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
梁川星巌、名は孟緯もういあざなは伯兎、後に公図。初め詩禅と号し後に星巌と改めた。通称は新十郎、美濃国みののくに安八あんぱち曾根そね村の人。年十四、五の頃父母を失うや、家をその弟に継がしめて江戸に来た。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)