継母まゝはゝ)” の例文
旧字:繼母
ぶんなぐつてやらうと思ふんだが、国の継母まゝはゝにさん/″\いぢめられて追ん出されて来やがつたんで俺あ可愛さうだから我慢してゐるんだ。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
繼「私は元は江戸の生れで、越中高岡へ引込ひっこんで、継母まゝはゝに育てられた身の上でございます…たれ合宿あいやどが有りやアしませんか」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
また私とは違つて継母まゝはゝに育てられて居る私の姉達が、いろ/\なことを一人々々が心一つに忍んだ淋しい日送りをして居るのを見てりますから
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ナニ、それもね、継母まゝはゝででも無けりや、またそこにもある。省吾の奴を奉公にでも出して了つたら、と我輩が思ふのは、実は今の家内との折合が付かないから。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
そして雨に濡れた汚い人家の灯火ともしびを眺めると、何処かに酒呑の亭主に撲られて泣く女房の声や、継母まゝはゝさいなまれる孤児みなしごの悲鳴でも聞えはせぬかと一心に耳を聳てる。
花より雨に (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
継母まゝはゝの兄と云ふのも、みんな有名な御用商人なんだから、賄賂わいろの代りに早速承諾したんだ、所が我が梅子嬢はどうしても承知しないんだ、到頭たうとう梅子さんをいざなひ出して
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
何事も母上様がと云ひさして又も、よゝとばかり泣き沈まるゝ体なり。ちなみに奈美殿の母親は継母まゝはゝなり。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
七年あとに私の継母まゝはゝと、つい前の宗慈寺と申す真言寺の永禪と申しまする和尚と不義をして、うして親共を薪割で殺して二人で逃げました、私は丁度十二の時で
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
斯ういふ話をして居ると、不図ふと継母まゝはゝの呼声を聞きつけて、ぷいと省吾は駈出して行つて了つた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
蒲団ふとんの中へ針を入れて置いたりする鬼のやうな継母まゝはゝの話ばかりを、友達等は毎日しました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
「其りやお解になりますまいよ、どうせ何にも知らない継母まゝはゝの言ふことなどを、お聴き遊ばす御嬢様ぢや無いんですから——我夫あなたからぢかにお指図なさるがう御座んすよ、其の為めの男親でさアね」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
私はとうからお前さんにお話をしようと思って居りましたが、私の処のおっかさんは継母まゝはゝでございますから、お前さんと私と、なんでも訳があるように云って責折檻せめせっかんをします
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
繼「これ又市見忘れはすまい、お繼だ、よくも私のお父様とっさまを薪割で打殺して本堂の縁の下へ隠し、あまつさ継母まゝはゝを連れて立退たちのき、また其の前に私を殺そうとして追掛おっかけたな」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
羽生屋三五郎はにゅうやさんごろうと云う田舎堅気かたぎうちでございまするが、母親が死んで、継母まゝはゝに育てられているから、娘はうちに居るより師匠の処に居る方がいゝと云うので、く精出して稽古に参ります。
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
是が継母まゝはゝいじめられ川の中へ打流ぶちながされたんだと云う、それが祟って累が出来たと云うが、なんだか判然はっきりしねえが、村の者も墓参りに来れば、是が累の墓だと云ってみんな線香の一本も上げるだ
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)