管仲かんちゅう)” の例文
また管仲かんちゅうは、斉の桓公かんこうをたすけて諸侯を糾合きゅうごうしましたが、その身は陪臣ばいしんでありながら、その富は列国の君主にまさっておりました。
敬の著すところ、卓氏たくし遺書五十巻、予いまだ目をぐうせずといえども、管仲かんちゅう魏徴ぎちょうの事を以てふうせられしの人、其の書必ずきあらん。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「君は、春秋を愛読されるか。春秋のうちには、例の有名な管仲かんちゅう鮑叔ほうしゅくとの美しい古人の交わりが書いてあるくだりがあるが、——君は、あそこを読んでどう思う」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
管仲かんちゅうが戦場でげたからとてただちにこれを卑怯ひきょうと批評し臆病者おくびょうものと判断し、しかして勇敢ゆうかんなれと忠告した者があったならば、おそらく彼は腹の底で笑うのみであったろう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「こんなのは一寸類がないよ。管仲かんちゅう鮑叔ほうしゅく、デーモン、ピシアスというところだろう」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
せい桓公かんこうが公子きゅうを殺した時、召忽しょうこつは公子糾に殉じて自殺しましたのに、管仲かんちゅうは生き永らえて却って桓公の政をたすけました。こういう人は仁者とはいえないのではありますまいか。」
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
先生はみずから常に自分を春秋の管仲かんちゅう楽毅がっきに比していたそうですが、古の英雄が志は、天下万民の害を除くにあり、そのためには、小義私情を捨てて大義公徳により
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしていい方面にのみ眼を注いでやりたい。昔管仲かんちゅうは敵と戦ってげた。時人はこれを怯者と呼んだ。しかしその友人である鮑叔ほうしゅくは何といった。彼は家に老父を有している。
イエスキリストの友誼 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
しかその才をあわれみて獄につなぎ、ふうするに管仲かんちゅう魏徴ぎちょうの事をもってす。帝のこころ、敬を用いんとするなり。敬たゞ涕泣ていきゅうしてかず。帝なお殺すに忍びず。道衍どうえんもうす、とらを養うはうれいのこすのみと。帝の意ついに決す。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
実は近いうちに隆中の孔明を訪れたいと思っていますが——聞説きくならく、彼はみずから、自分を管仲かんちゅう楽毅がっきに擬して、甚だ自重していると聞きますが、やや過分な矜持きょうじではないでしょうか。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
春秋の宰相管仲かんちゅう、戦国の名将軍楽毅がっき、こうふたりを心に併せ持って、ひそかに
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ご辺もまた、玄徳の偽善にまどわされ、そのあやまれる覇道はどうにならって、自己の大才をゆがめ、みずからいにしえ管仲かんちゅう楽毅がっきに比せんなどとするは、沙汰のかぎり、烏滸おこなる児言じげん、世の笑い草たるに過ぎぬ。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また管仲かんちゅうは、斉の桓公を輔佐して、富国強兵政策をとり、春秋列国のなかに、ついに覇をとなえしめて、その主君桓公から、一にも仲父ちゅうほ(管仲の称)二にも仲父とたのまれたほどな大政治家である。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)