相模屋さがみや)” の例文
あの相模屋さがみやという大きな質屋と酒屋との間の長屋は、僕の家の長屋で、あの時分に玄関を作れるのは名主にだけは許されていたから
僕の昔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いつのまにかじめじめしたうすぎたない狭い通りに来たと思うと、はしなくもいつか古藤と一緒に上がった相模屋さがみやの前を通っているのだった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
世話人の一人、原庭はらにわの顔役で相模屋さがみや綱吉つなきちというい男、本堂の青竹の手摺から見下ろすように平次に突っかかって来ました。
一人は相模屋さがみや吉兵衛という武具屋、これは道場で使うめん籠手こてや竹刀の修理新調を扱っている。一人は大工の頭梁とうりょうで、道場の一部を直す相談である。
主計は忙しい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
さても本所の鐘撞堂かねつきどう相模屋さがみやという夜鷹宿よたかやどへ、やっと落着いた米友は、お君から何かの便りがあるかと思って、前に両国の見世物を追い出された晩
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
宿ですか、馬喰町ばくろちょう相模屋さがみやてえのに旅籠をとっていますから、どうぞひとつくれぐれもお願いします。
蘿月はもと小石川表町こいしかわおもてまち相模屋さがみやという質屋の後取息子あととりむすこであったが勘当のすえ若隠居の身となった。頑固な父が世を去ってからは妹お豊を妻にした店の番頭が正直に相模屋の商売をつづけていた。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
塩町しおちょうと云う処に、相模屋さがみやと云う料理茶屋が有ります。此家これ彼地あちらでは一等の家でございます。或日あるひのこと、桑原治平くわばらじへいと云う他所よそへ反物を卸す渋川しぶかわ商人あきんどと、茂之助は差向いで一猪口いッちょこりながら
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
いまは「すしや通り」という立派な道路になった相模屋さがみやの露地のことだの、これ又、いまは「公園通り」という広い往来になった浅倉屋の露地のことだの、その露地の中ほどに、ポツンと一けん
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
芳郎の往った家は相模屋さがみやと云う熱海では一流の温泉宿であった。
赤い花 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「なるほど、まだ言わなかったのか。——外じゃない。広徳寺こうとくじ前の米屋、相模屋さがみや総兵衛が、昨夜ゆうべ人に殺されたんだとさ」
さて今日はこれから、あの家へ遊びに行ってやろうか知ら、本所の鐘撞堂かねつきどう相模屋さがみやというんだ、よく覚えてらあ
横浜という所には似もつかぬような古風な外構そとがまえで、美濃紙みのがみのくすぶり返った置き行燈あんどんには太い筆つきで相模屋さがみやと書いてあった。葉子はなんとなくその行燈に興味をひかれてしまっていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
蘿月らげつはもと小石川表町こいしかはおもてまち相模屋さがみやふ質屋の後取息子あととりむすこであつたが勘当かんだうすゑ若隠居わかゐんきよの身となつた。頑固ぐわんこな父が世を去つてからは妹おとよを妻にした店の番頭が正直に相模屋さがみやの商売をつゞけてゐた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
「成程、まだいはなかつたのか。——外ぢやない。廣徳寺くわうとくじ前の米屋、相模屋さがみや總兵衞が、昨夜ゆうべ人に殺されたんだとさ」
もう一人の姪のお道といふのは、總兵衞の弟の娘で十九、これは美しくもあり、若くもあり、その上身裝みなりなども、相模屋さがみやのお孃さんらしい贅澤なものでした。
月に浮かれたやうな心持で、路地へ出ると、そこは相模屋さがみやさんの裏口と差向ひになつて居ります。
相模屋さがみやの若旦那新助は二十一、古い形容ですが、日本橋業平にほんばしなりひらといわれる好い男のくせに、去年あたりからすっかり、大弓だいきゅうってしまって、大久保の寮に泊り込みのまま
「飛んだことぢやありませんよ。誰が斯んなむごたらしいことをしたんです。相模屋さがみやさん」
平次は其處に時松を留め置いて、相模屋さがみやに引つ返し、娘のお峯を呼出して、耻かしがるのを、いろ/\なだめすかし乍ら訊き出すと、この話も、符節ふせつを合せたやうに、時松の話と一致します。
安針町あんじんちょうの、さ、相模屋さがみやからめえりましたが、——わ、若旦那が昨夜ゆうべ——」
安針あんしん町の、さ、相模屋さがみやからめえりましたが、——わ、若旦那が昨夜——」
日本橋の相模屋さがみやまで使の者を出させました。
相模屋さがみやという豆腐屋ですよ」