疑惧ぎぐ)” の例文
「うるさい! 死ぬやつア、どうしたツて死ぬんだ!」渠はかう叫んで、「若しやあのお鳥も——」と云ふやうな疑惧ぎぐの念が浮んだ。
こう、叱っている阿波守が、すでに迷信から生じる一種の不安と疑惧ぎぐにおそわれつつあるような心理が、三位卿には不解であった。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お信はかれたもののやうに、平次の顏を見上げました。大きい眼は不安と疑惧ぎぐをのゝいて、可愛らしい唇は痛々しくも痙攣します。
なあに」と思って、お島は聞いていたのであったが、女にどんな手があるか解らないような、恐怖おそれ疑惧ぎぐとを感じて来た。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
しかしもう心のいっぱいに張りきっている米友は、更に疑惧ぎぐするところがありません。戸でもあいていたなら、そこから家の中へ入ってしまったでしょう。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
もともと疑惧ぎぐはあったので、説明されればすぐに理非の判断だけはつく。判断がつけば「謀反人の同類」ということの恐怖に圧倒されるのが当然であった。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
背筋から足の裏までが疑惧ぎぐの刺激でむずむずする。立って便所に行った。窓から外をのぞくと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだように静かである。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
大分昔よりは年功を経ているらしい相手の力量を測らずに、あのような真似まねをして、かえって弱点を握られはしまいか。いろいろの不安と疑惧ぎぐさしはさまれながら私は寺へ帰った。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
とかく嶮峻けんしゅん隘路あいろを好んでたどるものと危ぶまれ、生まれ持った直情径行の気分はまた少なからず誤解の種をまいてついには有司にさえ疑惧ぎぐの眼を見はらしめるに至った兄は
茶の本:01 はしがき (新字新仮名) / 岡倉由三郎(著)
このとき五大洲は安打して一塁をとった、つぎのクラモウはバントした、手塚はそれを取って二塁へ投げようか一塁へ投げようかと疑惧ぎぐしてるうちに双方を生かしてしまった。三番は千三である。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
淨瑠璃じやうるりの文句のやうなことを、大眞面目に言ひ交した、娘手品のお關の身の上を案じての疑惧ぎぐに囚へられてゐたのです。
自分は危ないとみて、舎人を江戸へやったが、自分の疑惧ぎぐは当ったのである。山崎の妻は涌谷さまの外従妹で、一ノ関ににらまれていることがわかったからであった。
かれの消息については、漠然として疑惧ぎぐをもっただけで、徳島の城下を離れてきた有村や三人組、もとより間髪かんはつの差で、ここへ弦之丞とお綱がくるとは夢にも知らない。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そう云う疑惧ぎぐが突然浮かんで来るのでした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
金次郎をかばひ損ねたお糸は、今にも取つて押へられさうな疑惧ぎぐをのゝながらも、悲しみ深い眼で、縛られて行く金次郎の後ろ姿を見送つて居ります。
玄一郎の自信がどれだけたしかであるか、敦信にはわからないし、疑惧ぎぐがあった。——敦信が彼を抜擢ばってきしたのは、財政を改革して、農地開拓と産業を興すことに目的があった。
いさましい話 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
六弥は面目を施して、座を辷るとすぐその剣客者をご前へ連れてきた——がしかし並居る一同の眼はすこぶる疑惧ぎぐに襲われた眼で、そこへ現われた異様な武士を見迎えたのであった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大きい眼を不安と疑惧ぎぐに見開いたまゝ、可愛らしいもののたとへにまでされた、『お靜さんの弓なりの唇』からは紅の色まですツとせてしまつたのです。
それは貴公たちの頭に疑惧ぎぐが生れるからだ、甲冑を着け太刀を持った敵兵と思えという拙者の言葉で、貴公たちの眼に敵が見えてくる、間近に迫った『面へゆくぞ』と叫べば
薯粥 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
暫らくはよどむ行列——後ろの方からは當日の生證人で付いて來た平田源五郎が、疑惧ぎぐの眼を走らせて居ります。
不安と疑惧ぎぐと悲歎に重苦しく閉ぢこめられて、偶々たま/\大きい聲で物を言ふ者があると、家中の者がはじき上げられたほど吃驚するといつた不思議な靜けさでした。
お玉は覺束おぼつかなく顏をあげるのでした。白粉つ氣も無い顏は、疑惧ぎぐと不安にさいなまれながらも、非凡のきよらかさと、古代の佛體に見るやうな不思議なこびを持つて居るのでした。
近頃わけても疑惧ぎぐを感ずるやうになつたのは、誰とも知らず、百草園に對して、ひどい惡戯をするものがあり、その上お玉自身も、思ひ及ばぬ危險にさらされることが多く、その都度つど
弟を失つた杉之助は、武家としての生活に疑惧ぎぐを生じ、そのまゝ祿ろくを捨てて浪人し、宗方善五郎の隱れ住む江戸に來て、同じ町内の手習師匠などをして、何んとなしに五六年を過しました。
恐怖と不安と疑惧ぎぐと、わけのわからぬ混亂とが、この世の終りまで續きさうでしたが、土地で名を賣つた、名御用聞の錢形平次の顏を見ると、煮えこぼれる鍋に一片の氷を投り込んだやうに
櫻屋の店の中は、不安と疑惧ぎぐと、慟哭どうこくと懊惱とが渦を卷いて居りました。
恐怖と疑惧ぎぐとにさいなまれて、腹の底から顫へてゐる樣子です。
銭形平次捕物控:130 仏敵 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
それを見上げた、お園の顏は、恐怖と疑惧ぎぐに顫へてをります。